60年代の学生運動の際には、学生たちもまだ無防備であり、警官隊に暴行を受けて多くの学生が負傷しました。その経験を生かして70年代からの学生運動では、学生たちがヘルメットをかぶって頭を保護するようになりました。体に対する警棒などによる打撃は打撲傷となり、時間と共に治癒しますが、頭部に対する障害には後遺症や命の危険が潜んでいます。わたしも他の学生にならってヘルメットをかぶってデモに行ったものです。日比谷公園や明治公園が集会場所になることが多くありましたが、白系の中核派や革マル派、青の社青同、赤のブント、黒の無党派など、実に色鮮やかでした。今の青年達には、権力に力で抵抗するという事は考えられないことでしょう。考えてみれば、あの時代から半世紀もたっているわけです。昨今のわたし自身もヘルメットをかぶって作業しているので、つい昔のことを思い出しました。梅の木の剪定です。50本くらいはあるでしょうか。梅の木を知っている人はわかるのでしょうが、梅の木は硬くて頭をぶつけるだけで怪我をしますし、木の表面には鋭いトゲが生えていて、これも危険です。そして強剪定では剪定鋏ではなくノコギリを使ってかなり太い枝も切りますので、落ちてくる枝が頭にあたっても危険です。そんなわけで、ヘルメットはとても役立っています。そして、ふと考えたら、ヘルメットの事は聖書にも書いてあるのですね。「悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。(中略)救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。」(エフェソ信徒への手紙6章11節以下)ここに書いてある「兜」こそヘルメットの事です。学生運動や農作業のためだけはなく、頭を保護していくことの大切さを再確認させられます。そして、霊的な危険の中で、頭を保護するのは、イエス・キリストによる救いの確信なのです。自分の善行や人徳による自信は、困難や試練には脆いものだからです。