久しぶりにいい言葉を見つけました。スノーボードの平野歩夢選手が目指している、二つの道です。「ふたつの道を追ってもいい」、これは彼にとってスノーボードとスケートボードの事です。彼はもともとスノーボードの選手ですが、たぶん多くの人に反対されながらも、練習して、東京オリンピックのスケートボード競技に出場して、初参加ながら14位の成績を残しました。その経験が、今回の冬期オリンピックにも役立っているようです。スケートボードとスノーボードとは似ていて異なる競技と言われているそうです。しかし、平野選手は、他種目ともいえるスケートボードを通して、正確な着地のバランス感覚をゲットしました。まさにこれだけ見ても、「ふたつの道を追ってもいい」ではないでしょうか。そして、彼は念願の金メダルを手に入れました。さて、今回の事と、語学の学習にも多くの関連があります。わたしも、かなり長い間、英語を大学で教えていますが、一般の先生方は、「一つの語学もマスターしていないのに他の言語を学習するのは言語道断」というでしょう。二刀流などは、とても不可能な事だという意味です。昔から、「二兎を追う者は一兎も得ず」というわけです。この場合、確かにウサギを二匹同時に追うことには無理があります。しかし、宮本武蔵も二刀流でした。プロ野球の大谷選手も、昔のベーブルースも二刀流です。ある分野においては、二刀流、あるいは三刀流が役立つことがあります。語学はまさにそれだと思います。トロイ遺跡を発掘したシュリーマンは、独自で古代語をいくつもマスターして古文書の解読に生かしました。そういう私も、英語の学習は長いですが、フィンランド大使館の人にフィンランドをを習ったことがあります。買った教科書は一冊だけでしたが、それを数十回繰り返し学習したことによって、語学力が鍛えられました。もともと、フィンランド語学習を始めたキッカケは、ヨーロッパの言語とは違う、ウラル・アルタイ語系の文法を持つフィンランド語を学習して、学習の最善の方法を研究することでした。この勉強がまさに二刀流でしたが、発音が英語とは違うので、耳の訓練にはとても良かったと思います。その後で、大学の中国語の先生と知り合いになったことで中国語も始めました。これは、まさに三刀流です。中国語のフレーズと日本語の訳文を繰り返し聞くだけの単純な学習ですでしたが、かなり話せるようになりました。英語と語順が似ているので、文法的にも簡単でした。ただ、ピンインという音程が各単語にあるので、多くの人は難しいといいます。わたしは、ピンインは気にせず、適当な発音で中国語を話していますが、中国を旅行する時にはとても役立っています。間違った発音をしていても、だいたいは、相手の方が文脈から察してくれて、修正してくれます。要するに、語学というのは、現地の人と同じように正確に話すのが目標ではなく、意志が通じて交流できればいいのです。最近の大学にはコミュニケーション学部というものもありますが、語学はコミュニケーションの道具に過ぎません。我が家の娘はオーストラリアに住んでいますが、彼女の夫はドイツ系であり、親族はドイツにいます。コロナ禍が終わったら、ドイツにも行ってみたいので、昔の大学時代に勉強したドイツ語の教科書も時々見ています。若いころには不可能に思えた、外国語でのコミュニケーションも今改めて考えてみると、それほど不可能ではありません。まさに、「時間に於いて不可能はない」です。私のもう一つの夢は、イタリア語をマスターしてイタリアを旅行し、そこに残されているキリスト教文化に触れることです。振り返って見れば、神学校で古代ギリシア語や古代ヘブライ語をやったのが役立っているのかもしれません。これら全部をまとめると、何と七刀流になってしまいます。そして、ここには聖書的な意味合いも含まれているのです。外国語の語学の習得はバベルの塔の時代に遡ることではないでしょうか。「こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。」(創世記11章9節)勿論、現在は携帯などのアプリを利用して、どんな外国語も即時に翻訳できますが、機械を媒介とせずに、自分の言葉と相手の言葉でコミュニケーションできるときに至福を感じるものです。何故なら、機械では感情は伝えられないからです。「ふたつの道を追ってもいい」とは、多くの人に勇気を与える言葉だと思いました。