印西インターネット教会

ウクライナでのロシア軍の蛮行とロシア正教の問題点

ウクライナでは、ロシア軍が一般市民に殺人、窃盗、破壊、強姦、拷問などを行っています。それだけではなく、自国の軍の戦死者に対しても、埋葬することもなく、見捨てています。戦況報告には、行方不明という嘘を記載するだけです。このようにひどい倫理観の欠如は、戦争においてだけではなく、オリンピックなどでも国家規模のドーピングなどが行われてきました。どうしてそうなったのでしょうか。ロシアにはロシア正教というキリスト教会があるのに、倫理を教えてこなかったのでしょうか。これを理解するには、ロシアの過去の歴史を調べる必要があります。リチャード・パイプスというロシア史の専門家は、ロシアには封建主義が育たず、専制君主主義になってしまったので、契約とか、規則の尊重という社会概念が未発達に終わったと考えました。それだけでなく、東方教会がロシアに拡大した後も、多くの歴史的試練が起こっています。その第一は、モンゴル人による侵略と300年にわたる奴隷生活です。日本でも、蒙古襲来によって国内が征服されていたなら、中世は暗黒時代だったでしょう。モンゴルの支配は、周知のことですが、血と力による恐怖の弾圧を基本としていました。反乱する部落があれば、モンゴル軍は婦女子を含む村民全体を一人残らず虐殺したそうです。だから、大きな村も数十人のモンゴル兵を駐屯させることで支配できたのです。1246年にキエフを旅したローマの宣教師の記事に、こう書いてあるそうです。「私が旅した時、南ロシアにいたる所に、無数の人骨が散らばっていました。キリスト教が栄えていたキエフの町が今では人家200戸を数えるのみで、その人たちは生活苦にうめいていました。」残念ながら、ロシア人は自分たちの宿敵からその手法を学んだようです。現在ウクライナで行われている虐殺も、単に恣意的な事件だけではなく、歴史に根差した恐怖支配の方法を自分たちが実践しているだけで、逆らったらこのような悲惨な結果になると脅かしているわけです。プーチン大統領が、核兵器の使用をほのめかしたのも、これと同じ脅迫の手段です。ロシアが本当の意味では近代化していない証拠です。さて、16世紀になるとモンゴル人の支配も終わりましたが、暴君で知られているイワン雷帝が登場し専制君主主義をおこないました。前述のように封建主義体制はしかれず、人と人との信頼関係も形成されず、専制君主の下で民衆には人権も保障されず、奴隷として扱われました。当時のロシア正教の主教がイワン雷帝を批判した記録が残っています。「どんなに信仰心のない野蛮な国でも正義は存在し、民衆への哀れみというものはある。しかし、ロシアにはそのどちらも存在しない。市民の財産や生命は守られていない。至るところで略奪や殺人が行われている。」しかも、これらの卑劣な行為が皇帝の名の下に行われていたわけです。なぜなら、最初の秘密警察を設置して暴力をほしいままにしたのもイワン雷帝だからそうです。昔も今も変わりません。現在のロシア軍がウクライナであれほどまでに人権や人命を平気で無視できるのは、こうした過去の負の遺産が影響していると思われます。ロシアの過去の歴史の中で、この時点では、ロシア正教も「モーセの十戒」や「山上の垂訓」などの基本的倫理観を持っていたと考えられます。しかし、17世紀になると、教会の堕落と内紛が進行しました。そして18世紀になると、ピョートル大帝がスウェーデン、英国、フランス、ロシアで視察したことに基づき、ロシア正教会の総主教制度が廃止されました。そして、1721年には、総主教座の代わりにシノード(宗務庁)が成立しました。それはロシア正教が、もはや独立した宗教団体ではなく、国家の下部機関に組み込まれたという事です。これによって、それまで保たれていた教会のキリスト教的価値観である、「盗むな、殺すな、偽りを語るな」などの教えは形骸化されていったのです。そして、20世紀になると、ロシアの近代化と共に革命運動が盛んになりました。さらに、日露戦争での敗北はロシアに暗い影をおとし、国家機関となってしまったロシア正教の腐敗もさらに拡大していきました。司祭の仕事も世襲制になり、信仰とは無縁の職業、つまり公務員となったのです。後になって、民衆の弾圧とか血の粛清を行ったスターリンも、神学校の学生だったことがありますが、当時のロシア正教に関してこのように書いています。「神学校では最も屈辱的で、専制的な仕打ちに合った。スパイが盛んに行われた。九時にはベルが鳴って朝食に行くが、食堂から帰ってみると、われわれの机の引き出しはひっくり返されて捜索されていることが分かった。私がマルクス主義者になったのは、私の社会環境のせいであり、私が数年間を送った正教会神学校のジェスイット的弾圧と頑迷固陋さのせいである。」この頃のスターリンの結論は、「神を信じるとは何か、学校は何も教えてくれない」でした。ですから、革命成立後のロシアでは、ロシア正教は弾圧され、形骸化されたのです。こうして、ロシアの歴史では、倫理とか道徳は排除され、力ある者だけが権力を行使して人衆を弾圧するという風土が形成されたのです。リチャード・パイプスの述べた事と同じです。信頼関係の基礎ができなかったのです。ですから、現在のロシア軍がウクライナで行っていることは、彼らが国内でこれまで行ってきたことの延長でしかなく、すでに近代化していて人権尊重などの価値観を持つヨーロッパ諸国が戦争犯罪を批判しても、全く理解できていないのは当然だと思います。残念ながら、ロシア正教がもう少し健全であれば、最低限度の道徳観は残っていただろうと思います。この点では、仏教が檀家制度によって政治機関に組み込まれてしまった日本で、海外に派兵された日本軍兵士たちが、仏教の慈愛の思想を実践できず、戦争犯罪に手を染めてしまったのも似ているような気がします。こうした事例をみて、印西インターネット教会では、キリスト教や仏教だけでなく、すべての組織化された宗教の負の遺産を無視してはいけないと考えます。明治時代にクリスチャンとなった内村鑑三が「無教会主義」を唱えたのも、そんなところに理由があったのかもしれません。わたし自身は「教会」という事の神学的意味を尊重していますが、「組織化された人間集団としての教会」に多くの問題性があるのは自明のことです。新約聖書の「ヤコブの手紙」には2千年前の問題が克明に記載されています。もし、内村鑑三先生がまだ生きていたら、そのことを膝を交えてゆっくり語り合いたいものです。(霊的には、既に語り合っている)

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