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現代の伝道が遅々として進まないのは人間的な理屈に頼っているからであり、初代教会は聖霊に導かれて目覚ましい働きを進めることができた。

使徒言行録19章1節20節  文責 中川俊介

話は、パウロに関することに移ります。彼は「神の御心ならば、また戻ってきます」と以前に語っていたエフェソに向かいました。「ここのところは重要であり、今までの異邦人伝道の総まとめのような意味を込めて、ルカがしるしていることも、よくわかります。」[1] これは、1節に書かれているようにアジア州の内陸を通って行ったものです。今回の訪問で、パウロはエフェソの弟子たちに聖霊の問題を問うています。その理由は、彼らが完全に福音にあずかっていたかどうかということです。

2節に、人々の答えが書かれています。彼らは聖霊という事すら知らなかったのです。では、わたしたちの教会ではどうでしょうか。信仰に入る際には、教理問答やカテキズムがあり、基本的には、十戒、使徒信条、主の祈りなどを学びます。しかし、そこに聖霊についての十分な教えがあるでしょうか。また、聖霊という言葉は知っていても、その深く意味するところをどのように理解したらよいのでしょうか。「自分に死ぬならば、聖霊を受けます。神は冷淡な信仰者にも、知識の浅い者にも、生ぬるい者にも、聖霊を雨のように降らせます。」[2] 聖霊こそ恵みの雨といえるでしょう。その点においても、こうして、聖霊の書でもある使徒言行録から学ぶことが出来るのは幸いです。

続いて、パウロはエフェソの弟子たちがどのような洗礼を受けたのかを尋ねました。「なぜなら、イエスの名による洗礼は、御霊の約束と結びついていたからである。」[3] 聖霊が、独立した概念ではなく、イエス・キリストの洗礼と結びついた事柄だったからです。3節で、弟子たちはヨハネの洗礼を受けたと答えました。イエス様の宣教の際に、洗礼のヨハネが悔い改めの洗礼を授けていたことは知られています。ただ、それから20年以上経て、まだヨハネの洗礼しか知らなかったというのはどうしてでしょうか。しかし、「キリストの復活と聖霊の注ぎとは別に、イエスについての知識はエフェソや他の場所にまで広がっていたようである。」[4] つまり、まだ中身が充実してはいなかったのです。わたしたちの信仰内容はどうでしょうか。皆で考えてみましょう。

4節にあるパウロの言葉は、まさに福音書が告げている洗礼のヨハネの役割を正確にあらわしています。つまり、洗礼のヨハネはイエス様のために道を備えるために働いたのです。そしてその洗礼の中心点は、聖霊ではなく悔い改めという事でした。ただここで注意しなければならないのは、抽象的な悔い改めではないことです。悔い改めの本来の意味は方向転換ですが、その方向転換は、イエス様を救い主と信じるという方向転換だといえるでしょう。それをパウロは述べたのです。しかし、エフェソの弟子たちの洗礼は、アポロの指導からの影響でしょうか、洗礼のヨハネの段階で止まっていました。そこで、人々はイエス・キリストの名によって改めて洗礼を受けました。ある面では、これは再洗礼といえるでしょう。ただし、前の洗礼がイエス・キリストの名によるものではなかったので、初めての洗礼とも言えます。「使徒たちも洗礼のヨハネから洗礼を受けたようであるが、その場合に、再洗礼の問題は起っていない。」[5] その分類は専門家に任せるとしても、初代教会の伝道が間違った教えに対しても寛容であったことが分かります。

ヨハネの洗礼から、イエス・キリストの洗礼への移行は実に簡単なものでした。特に教育もなく、パウロに言われたことに従って洗礼を受けたのです。ですから、洗礼は知識でも人間の判断でもないことがわかります。イエス・キリストの福音が伝えられたら、それにアーメンと呼応して従うのが信仰といえるでしょう。

6節には、イエス・キリストの名による洗礼がもたらした変化が述べられています。人々は、パウロの按手によって、聖霊を受け、異言や預言を語り始めました。ここで、聖霊の授与が、イエス・キリストの洗礼と同時の事ではなく、洗礼の後にパウロが按手して聖霊をうけたとルカはしるしています。「按手は人々を教会の交わりに入れるための特別な行為だと理解されるべきである。」[6] パウロは、ペトロやヨハネの先例に従って聖霊の授与者として描かれています。「ルカにとっては、かつて起ったことが重要なのではなく、むしろ、エペソの教会がパウロによって起こされることを示すことが大切だったのである。」[7] エフェソ信徒への手紙1:13や4:31にも、エフェソ教会の人々が聖霊によって証印押されたということが強調されています。

さて、聖霊の授与に始まったパウロのエフェソでの伝道は、3か月続きました。少し前にも述べましたが、洗礼の前に目だった教育課程はなかったのですが、その後で、パウロは熱心に教理を語っています。これはまさに信徒教育でしょう。洗礼を受けたのに、その洗礼の意味や神の国の概念が理解できなければ、脆弱な信念になりやすいでしょうし、異教社会の中で、家族や他者に福音を伝えることも出来ないでしょう。日本での宣教の進展がはかばかしくないのはこの点に問題があるのではないでしょうか。ロシア正教の宣教師であったニコライは熱心に教えました。皆でこの事を話し合ってみましょう。

パウロの伝道も必ずしも順調ではありませんでした。これまでも、特に、ユダヤ人から強い反発を受けてきました。9節を見ると、パウロの熱心な説得にもかかわらずユダヤ人会堂では信じようとしない人々がいたことが分かります。パウロは今までと違って、その場では論争せず、場所をほかに移動して働きを続けました。パウロは聖霊の導きに従ったのでしょう。進むべきか、後退すべきかを自分で思案する必要はありません。ティラノという人の講堂は安全だったのでしょう。そこでパウロは毎日教え、2年間、この働きを続けました。写本によっては、人々が長い昼休みを取っている間にパウロはこの場所を使用したとあります。詳しい内容はどうであれ、この時点から伝道の中心が会堂を離れ、一般の集会場所に移って行ったことは、初代教会の設立の原点と考えてもよいでしょう。教会では、主な活動が週に1回ですから、これを毎日分に換算すると、2年間の教えとは、約14年間欠かさずに礼拝出席したことに匹敵します。やはり、公平に見ても、14年間も欠かさずに礼拝に出た人は、日本においても信仰観が確立していると言っても間違いではないでしょう。普通は、休みが多かったり、よく御言葉を聞いていなかったりするので、確かな信仰形成にはもっと長い時間がかかるものです。日本では、伝道をイベントや集会に限定しがちですが、しっかりした信仰を形成するために、多くの回数をこなして学ぶ必要があることはここからも明らかです。これは、他のことで忙しい現代の教会の課題であると言えるでしょう。パウロの熱心な働きによって、アジア州の多くの人々が主の御言葉の教育を受けることが出来ました。それは、エフェソで教育された者たちがアジア州全体に福音を伝えたからです。黙示録に出てくるアジアの7つの教会もこの頃に設立されたと言われています。

さて、パウロは御言葉の宣教だけでなく、11節にあるように、多くの奇跡を行っていたようです。それはイエス様の働きと同じです。驚くことには、パウロの持ち物を持って行って、病人に当てると病気が癒されたり、悪霊が出て行ったというのです。このような奇跡は、今までの記述には見られないものでした。聖霊の働きが開花したという事でしょうか。イエス様は遠隔地からも癒しの奇跡を起こしたことがありますが、パウロのように持ち物という物体を通して奇跡が起こったという事は目覚ましいことです。これは、物に力があったのではなく、人々の信仰心が物を通して起こされ、その信仰心の故に奇跡が生じたのだと理解することが出来ます。

一見順調に見えたパウロの伝道に、再び問題が起りました。「聖霊が燃える時、同時に、敵も、悪魔も力を持ちます。」[8] 13節に出てくる、ユダヤ人祈祷師たちの問題です。現代の占い師のように、一種の超能力を商売の道具としていた人々がいたようです。「実にエフェソは古代世界の魔術の重要な中心地であった。」[9] 彼らは、パウロの持ち物さえ奇跡を起こす手段になることに注目しました。おそらく彼らもパウロの霊的能力に驚いた者たちの一人だったでしょう。パウロの癒しは、彼らの癒しを凌駕したものだったにちがいありません。そこで、祈祷師たちの中から、悪霊退治にパウロの言葉をまねして、イエス・キリストの名を唱える者が出たのです。呪術には名前が重要でした。それが、暫くの間は役立っていたことも意外です。これは、物とか言葉による一種の呪術的な作用ではないでしょうか。憐み深い神は、このような過ちさえしばらくは忍耐されます。14節にあるユダヤ人祭司長の7人の息子もそうでした。「古代において、特にユダヤ人の魔術師が尊敬されていた。」[10] 信仰心から来ているのではなく、癒しという利点にだけ目を奪われるとその働きは、迷信に近くなります。

興味深いことに、こうした働きは長くは続きませんでした。その結末が15節にあります。祈祷師たちがイエス・キリストの癒しの福音を流用しようとしていた際に、なんと、人に憑依していた悪霊が彼らに問いただしたのです。お前たちは救いを信じてもいないのに、名前だけを流用しているのではないか、というわけです。当然と言えば当然ですが、こういわれた祈祷師たちはどれほど驚いたことでしょうか。悪霊は黙って人に取りついているだけではなく。意志があり、間違ったことには反論してくることもできたのです。これはわたしたちにもとても参考になります。他の箇所でパウロは、「わたしたちは肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません」(第二コリント10:3)と述べています。この点をしっかりしておかなくては、悪霊に対する癒しの働きは危険です。礼拝もそういう姿勢がなくては、悪霊の排除は不可能でしょう。実に、イエス様の伝道は、「病人を癒し、悪霊を追い払いなさい」(マタイ10:8)と弟子たちに命じて派遣したものです。こうした、イエス様の宣教命令を信じることなく、名前だけ利用した祈祷師たちはひどい目にあいました。救い主イエス・キリストの力しかこれを抑えることはできません。クリスチャンも、実は、水面下でこの悪霊の支配と戦っているのです。過去には迷信からの挑戦を受け、現在では神を否定する科学や現代思想のもたらす価値観の挑戦を受けているのです。救い主にすべてをお任せすることなしに悪の支配に抵抗することはできません。

神にあっては、マイナスもプラスの働きをするものです。祈祷師たちの失敗はエフェソ伝道に大きな助けとなりました。この事を知った人々は、救い主イエス・キリストのみ名を崇めるようになったのです。そのように17節に書いてあります。それだけではなく、既に信仰に入った人びとも、畏敬の念を持ち、18節にあるように、自分たちの悪行を告白しました。つまり、神の赦しを求めたのです。さらに、祈祷師や魔術師は彼らの働きの大切な道具であった呪文の書などを焼却しました。「すなわち、これまで持っていたあらゆる書物・護符・魔術の手引き、おそらくそのほか各種の異教的・ユダヤ教的文学の書が、焼き捨てられた。」[11] これらの事が自然に起こったのです。まさに神の業と言えます。御言葉による自浄作用です。焼却された書物の価値は、銀貨5万枚ですが、現在の価値に換算すると、当時の銀貨1枚が一日の日当に匹敵したことを考えると、約5億円にものぼる額でした。ですから、これは大変な出来事だった訳です。「しかしこれは、今日の普通の人々が似たような小物や愛好物に使用している金額を比較するならば驚くような額ではない。」[12] 大きな価値観の転換がおこりました。伝道の成果とは人が集まることではなく、価値観の大転換にあることを覚えたいと思います。こうして、エフェソでの福音宣教は爆発的な勢いをもって拡大していきました。

[1] 尾山令仁、「使徒の働き下」、羊群社、1980年、211頁

[2] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、267頁

[3]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、244頁

[4] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、306頁

[5] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、386頁

[6]  前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、308頁

[7] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、247頁

[8] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、271頁

[9] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、179頁

[10] 前掲、F.ブルース「使徒言行録」、390頁

[11] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、250頁

[12] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、312頁

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