仲本工事さんが事故死しました。最初は、交通事故で怪我をされて入院したというニュースでした。その後、事務所の方から死亡報告がでました。死亡原因は、頭部の傷害による硬膜下血腫ということでした。ドリフターズの時代からお笑いで多くの人を楽しませてくれた人ですので、とても残念なことでした。ただ、この死因となった硬膜血腫というのは、自分も10年くらい前になったことがあります。その時は、息子とその友人を連れて熱海の防波堤に夜釣りに出かけていました。一晩中やってもなんのアタリもなかったのですが、夜明け近くになって大物がかかり竿がおおきくしなりました。かかった魚を逃がすまいとして、竿を振り上げたとたんにあおむけに滑り、固い防波堤のコンクリート面に後頭部を強く打ちつけました。あいにくその前日には雨が降り、コンクリートが濡れて滑りやすくなっていたのと、使い古されて足裏がツルツルになったクロックスをはいていたのが災いでした。そのときには、痛みを感じただけでしたが、帰りに車を運転していたときに、目の前の風景がビデオの早送りになったような気がしました。家に帰って皆にそのことを話したら、脳外科に行った方がいいといわれました。自分としては普通の打撲のように思っていましたが、念のために受診しました。CTなどで詳しく調べてもらうと、仲本工事さんと同じ硬膜下血腫ということがわかりました。しかし、出血の量がそれほど多くないので、緊急手術はしないで投薬で様子を見ましょうということでした。それから家に帰って、テレビのニュースを見ていると、サッカーの練習をしていた中学生がゴールの鉄枠にぶら下がっていると、それが倒れ、頭をグランドに強く打ち付け死亡したということでした。死因は、硬膜下血腫でした。これには驚きました。まだ若いですし、それにサッカーのグランドはコンクリートや、仲本工事さん衝突した車に比べたらずっと柔らかいものです。それでも死ぬんだなと思いました。硬膜下血腫というのは非常に危険な外傷だったわけです。わたしは幸いにして命を取り留めましたが、死の危険は誰にでもあるものです。聖書にはこう書かれています。「一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死は全ての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。」(ローマ書5章12節)ここでの「一人の人」とは、人類の始祖アダムのことです。余談ですが、アダムとはヘブライ語で「土」を意味します。興味深いことに、土の原子構成成分と、人体の原子構成成分が一致するということです。科学などが未発達の時代に、アダムを土であると特定した古代の人たちのインスピレーションには感動します。それにしても、この土なる人間が、命である神と共に生活したエデンの園では、人類の始祖に死はありませんでした。そこで、神のもとを離れたのが原罪であり、死の支配です。キリスト教の救いは、この根本問題の解決でなくてはなりません。ローマ書を書いたパウロは、この解決方法をこう述べています。「律法が入りこんで来たのは、罪が増し加わるためでありました。しかし、罪が増したところには、恵みもなおいっそう満ちあふれました。こうして、罪が死によって支配していたように、恵みも義によって支配しつつ、わたしたちの主イエス・キリストを通して永遠の命に導くのです。」(ローマ書5章20節以下)根本的解決は、各個人の信仰熱心さや善行によるものではなく、主イエス・キリストを通しての贖罪であることがわかります。仲本工事さんの死と共に、お笑いの一時代が幕を閉じました。そして、わたしたちの生涯の喜劇や悲劇も幕を閉じるときが来るでしょう。しかし、それが終焉(終演)となるのではなく、インターミッション(幕間)となり、あたらしい場面展開になるには、主イエス・キリストを通しての永遠の命を信じることが大切だとパウロは告げています。