印西インターネット教会

菊川ルーテル教会伝道説教(信仰の地動説)

「サタンよ引き下がれ」        マタイ16:21-28 2023 9 3

今から100年前の9月1日に関東大震災が起こっています。私の母はその時3歳でしたが、火事になった家の二階から助け出されたのを今でも覚えているそうです。聖書の舞台であるイスラエルも地震の多い場所です、塩の濃さで有名な死海などもイスラエルにありますが、もともとは海につながっていたものが地震で土地が崩れ、海と遮断されて塩分が強くなったそうです。

イエス様は、弟子たちをつれて死海の近くの町エリコにも行っています。そうした旅行の中で、イエス様は弟子たちの頭の中に残っている人間的な考えを見つけて、それを指摘しました。その一言が、「サタンよ引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」だったのです。

弟子たちは、自分では神を信じていると思っていました。しかし、それは間違った信仰でした。神様中心ではなく自分中心でした。中世の天動説のようなものです。つまり、自分のいる地球は動かず、星や太陽が自分の周りをまわっているという考えです。弟子たちの信仰もある面では天動説みたいに、自分を中心とした信仰でした。その違いを知るには聖書で調べるのが一番です。旧約聖書には、人間のことより神のことを第一に考えた人物のことが書いてあります。初めは羊飼いでしたが、のちに王様になったダビデです。彼は、当時のサウル王から命を狙われていました。サウル王は王家の家系を持つ人でした。しかし、羊飼いの仕事をしていたダビデがペリシテの巨人ゴリアテと対面で勝負して勝ってから、彼は国民的英雄になってしまいました。これも実力の世界ですからね。そこで、サウル王は自分の人気が落ちて王位が奪われるのを恐れたのです。殺してしまえば安心だと思ったのです。そこで軍隊を出してダビデのグループを追い詰めました。ところが、自分が洞窟に用を足しに行ったときに、そこにはダビデと部下たちが隠れていました。ダビデの兵隊たちは言いました。これはサウル王を打ち取る絶好のチャンスだ。しかし、ダビデは反対しました。「わたしの主君であり、主が油を注がれた方に、わたしが手をかけ、このようなことをするのを、主は決して許されない」(サムエル記上24章7節)と言ってサウル王を襲撃することを許さなかったのです。つまり、人間的には絶好の機会だったけれども、神はそれを許さないという意識が働いたのです。人間ではなく神だという例ですね。また、人間的思考と神中心の考え方の違いの例は、新約聖書にもあります。イエス様の時代というのは、イスラエルも独立国家としての立場を失って、ローマ帝国の植民地みたいになっていたわけです。ですから、政治も不安定でした。反乱などもありました。そのなかで、チュウダという人が起こした反乱のことがかかれています。イエス様の復活を体験した弟子たちは、迫害を恐れなくなり、ユダヤ教の中心地であった神殿でも福音の教えを伝えたのです。ユダヤ教の側の指導者たちは困りました。弟子たちの影響力が強かったからです。なかには、弟子たちも殺そうと考える人もいました。その相談の中でガマリエルという学者が発言し、弟子たちの扱いは慎重にするべきだと言いました。以前にもチュウダの反乱がおこったが、今は跡形もない。もし、イエスの弟子たちの働きが、「人間から出たものならば、自滅するだろうし、神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことはできない。もちかしたら、諸君は神に逆らう者となるかもしれないのだ」(使徒言行録5章38節以下)と述べたのです。

イエス様も、この点に関しては繰り返し教えています。ある時、目の見えない人がいました。弟子たちはまだ人間的信仰でしたから、イエス様に尋ねました。この人の目が見えないのは、本人の罪のせいですか。親の罪のせいですか。イエス様はいいました。誰の罪の結果でもない、神の業がこの人に現れるためである。(ヨハネ福音書9章1節以下)

 

さて、今日の日課の少し前に書いてありますが、イエス様は、イスラエル北部のフィリポ・カイサリア地方に伝道しました。これはガリラヤ湖の北の地方で、異教の神が信じられている辺境でした。

この地域は、ローマ皇帝アウグストがヘロデ大王に与えたものです。そして、ヘロデの息子の一人のフィリポがこの町を美しく整え、皇帝の意味である、カエサル(英語でシザー)を町の名としフィリポ・カイサリアとしたのです。海辺のカイサリアと区別するためにこういう呼び名になった訳です。また、当時はローマ皇帝も神と信じられていました。

イエス様の一行は、色々な村に行って本当の神を伝えました。伝道は、都市部の方が効率は良かったと思います。ですから、パウロは都市を中心に伝道しました。しかし、イエス様は、村を選び、少数の人と交わりました。あまり大勢の人に伝道しようとする気持ちはなかったのでしょう。丁度、愛情深い羊飼いが迷ったたった一匹の羊を捜すかのようでした。たった一匹の羊でもいいから、そこで本当の神の愛を伝えようとしたわけです。

ただその後、イエス様は、これから自分はエルサレムに行って、権力者から迫害され、殺されたのちに復活することになっていると告げたのです。これは、弟子たちにとってまさに青天霹靂の事柄でした。弟子たちは、イエス様に従っていくことによって少し偉くなったような気がしていたわけです。しかし、イエス様の受難の話は、メシアに関する聖書の預言であって、イエス様が勝手に考えたものではありません。イエス様は、神の御計画を一番知っておられたのです。

驚きについては、こんな話があります。明治時代にある有名な伝道者が地方の都市に行って伝道説教しましや。その夜は教会の方々が宿泊先で宴席を設けてくれました。ところが、教会の代議員をしていた人が町の顔役で自分の自慢話をダラダラ続けたのです。最初は黙って聞いていた伝道者は、最後に「お前は豚だ」と言って席を立ってしまったそうです。昔の人ですから、武士の精神もあったのでしょうね。普通なら、失礼な伝道者だと憤慨するところですが、その代議員は家に帰ってから深く反省し、夜中に伝道者が泊っている旅館に戻って平手をついて謝罪したそうです。

イエス様が最愛の弟子であったペトロに対して「サタンよ引き下がれ」と言ったのもこれに似ています。それはまさに、人間的な価値観と、神の価値観との衝突なのです。天動説と地動説の違いにも似ています。あの代議員も、この時のペトロも、人間的な考え方をベースにして、自分中心に行動していたわけです。

わたしたちも例外ではないでしょう。人間の精神的な苦しみのほとんどは、自分を中心にして世界が自分の周りをまわっていると考えるからです。いわば自己中心天動説です。弟子たちもそうでした。ですから、ある時にイエス様は「信仰の薄い者たちよ、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って思い悩むな」(マタイ6章30節以下)と言って、人間的な価値観を突き放したのです。人間の価値観では救われないからです。神において重要なのは、神の国と神の義です。その意味は、天動説ではなく地動説であり、神を中心にして、神に従って生きることなのです。ローマの百人隊長が「わたしは上官が行けと言えば行きますし、来いといえば来ます」といったのと同じです。受難においても、神の義をイエス様は優先したのです。

そして、あの「お前は豚だと」言われて叱られた代議員は、自分の豚のような貪欲な姿を指摘され、悔い改め、神に従い財産を困っている人のために用い、愛のあるクリスチャンに成長したそうです。

実は、わたしたちにもこの悟りが必要です。わたしたちの人間的な考えに対しても、イエス様はきっと「サタン、引き下がれ」とおっしゃることでしょう。

このサタンの力を破り、真実の神の愛に結びつけるのはわたしたち自身の努力とか信仰心でできるものではありません。それが可能なのは、メシアであり救い主であるイエス様の十字架の上で流された犠牲の血によるだけです。ですから、現在も、聖餐式でそのことを覚えるのです。

弱腰だった弟子たちも。イエス様の十字架の後には勇気ある伝道者になりました。「伝道者になることは絶望に一番近い人間になることである」とある聖書学者が書いています。どういう意味かというと、自分に絶望して、人間的な期待感を捨て、神の与える希望だけに生きるようになったのです。これが価値観の根本的転換です。天動説から地動説への転換です。

サタンと呼ばれようが、豚とよばれようが、それがわたしたちの現実です。それでいいのです。ペトロも後になって、聖霊の助けによって、本当の愛の神を確信しました。

パウロも書いています。「わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。」(コリント信徒への第一の手紙2章12節)パウロも幻の中でキリストに出会い、サタンよ引き下がれ、という宣言を聞いたことでしょう。不思議なことに、人間から愛の神へと考えが移ると、どんな悩みも消え去るのです。

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