FOR ME(わたしのため)思想から FOR YOU(あなたのため)思想への転換
聖書では、人間の罪の根源は、エデンの園でアダムとイブが禁じられた木の実を食べてことにあるとされます。これを、原罪といいます。では、原罪の根本原理とは一体何でしょうか。「女が見るとその木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた」(創世記3:6)と書かれています。イブはそれを見て食べてしまいましたが、それは(彼女のために)甘美だったからです。原語であるヘブライ語原典を見てみますと、その木は彼女の眼の欲望をひきつけるものだったと書かれています。ですから、原罪の根本原理は欲望であり、FOR ME(わたしのため)の思想であると考えてもよいでしょう。これは、個人に限らず、国家や企業なども陥りやすい罪です。トヨタ自動車と日野自動車の不正もその一つと言えるでしょう。厳しい検査結果を無視して、「販売してはいけない車を販売してしまった」のです。それも自社の利益のため、つまり、FOR ME(わたしのため)の思想そのものです。ロシアのウクライナ侵略戦争も同じです。ただ、ロシアの場合には、常習犯ともいえるでしょう。過去には、隣国であるフィンランドを侵略してカレリア地方を横取りしています。ですから、知人のフィンランド人の先生は、今でもロシアを決して信じてはいません。こうした、ロシアの態度もまさにFOR ME(わたしのため)思想からきているといえるでしょう。しかし、私たち自身はどうでしょうか。パウロが、「では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。(中略)正しいものはいない。一人もいない。悟るものもなく、神を探し求める者もいない。」(ローマ信徒への手紙3:9以下)と語っているように、FOR ME(わたしのため)思想という原罪は、すべての人間、すべての組織に及んでいるのです。特に組織の場合は、アメリカの神学者だったラインホールド・ニーバーが分析したように、罪の度合いがさらに悪質化するのです。ロシアの侵略戦争がまさにそれです。主権を持つ他国の人民を蹂躙するだけではなく、自国の兵士たちも消耗品のように扱っているのです。ロシア正教の高官などは、こうした戦争を祝福してまでいます。政治だけでなく宗教も原罪によって堕落しています。世界をむしばむこうしたFOR ME(わたしのため)思想に対抗できるのは、イエス・キリストの十字架の犠牲だけです。なぜなら、それは究極のFOR YOU(あなたのため)思想の顕現だからです。ですから、パウロも「これを信じる者は、失望することがない」(ローマ信徒への手紙9:33)と書いているのです。それだけではなく、「自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです」(ローマ信徒への手紙15:1以下)とも述べています。これこそ、イエス・キリストが教えた FOR YOU(あなたのため)思想ではないでしょうか。人類の歴史を振り返ってみますと、自己の利益を追求した個人や団体は滅びています。罪の結果は死であると聖書に書いてある通りです。しかし、他者の幸福を追求した働きは永続しています。その理由は、神こそが4Uの方であるからです。