最近の統計で、日本人の幸福度がワースト3位でした。日本よりさらに低いのは、韓国とかハンガリーです。自分たちより下がいるといっても安心はできません。日本人の幸福度は下がり続けているからです。ただ、この統計は対象国が30か国ですので、世界中の国々のなかでの順位ではありません。ただし、日本より経済的に恵まれない国であっても、国民の幸福度の高い国はたくさんあるでしょう。では、何故、日本人の幸福度は低いのでしょうか。解剖学者の養老孟子先生は、問題解決には対象を変えるより、自分自身の見方を変えるほうが簡単である、と語っています。その観点から見ると、幸福度の問題も、自分をとりまく環境の結果として幸福感を持つよりは、自分自身が幸福だと思う方が有効だと思えます。宗教観も薄れた日本人の心に必要なのは、PROVIDENCESという考えではないでしょうか。これは、節理とか、天祐と訳されていますが、私自身は天祐の方が、言語に即した意味だと思います。人間がどんな環境に置かれても、天祐を信じる者にとっては、日々は幸福の時です。このことが詳しく書いてあるのは、旧約聖書続編のシラ書です。そこにはこう書かれています。「のろまで、助けを必要とし、何もできず、貧しさにあえいでいる人もいる。しかし、主は、彼に目を注いで恵みを与え、惨めな状態から引き上げ、高めてくださった。(中略)善と悪、生と死、貧困と富は、主が与えるもの。」(シラ書11:12以下)このなかで、神が「目を注いで恵みを与え」という部分がまさにPROVIDENCEなのです。何故なら、PROVIDENCEの動詞形はPROVIDEであり、それは「与える」という意味だからです。与えて下さる方を知っている人の幸福度はかなり高いと思います。わたしがインターネット教会で聖書の解説を行っているのも、環境や境遇に左右されない高い幸福度を、多くの皆さんが手に入れていただくためです。