印西インターネット教会

映画マルコムXを見て思う律法主義の危険

前から見たいと思っていた、スパイク・リー監督による映画「マルコムX」をみました。なにせ、200分の長さの映画ですから、見たくても躊躇していたわけです。しかし、今回は思い切って鑑賞して見ました。マルコムXの父親は、キリスト教の牧師でしたが、差別主義者によって惨殺されたのです。他殺だというのは明白だったのに、警察が自殺としたため、保険金も下りず、母親は辛い思いをして子供たちを育てたようです。若いころのマルコムXは悪い事ばかりやっていた様です。そして、犯罪を犯して刑務所に送られ、そこで改宗してイスラム教徒になったわけです。アメリカでも、イスラム過激派によるテロが起こる前には、イスラム教が広がっていました。この映画を見てその理由がわかりました。答えは、戒律ですね。豚肉を食べるのが禁じられていたり、酒もダメ、その他の行動規範も厳しく制限されています。実は、こうした戒律が、自堕落な生活を送っている者には良薬となるわけです。マルコムXも、イスラム教によって品行方正な青年となり出獄し、その後、イスラム教の伝道と黒人差別撤廃のために活動しました。彼はとても知的な人物のように思ていましたが、彼の勉強は刑務所の中の図書館でなされたそうです。ただ、残念なことには、彼を支えていたNOI(イスラム国)という宗教団体が、やがて、マルコムXの批判を組織への脅威と感じ、彼を射殺してしまったことです。「~でなければならない」という律法主義は、ユダヤ教も同じです。これも、戒律が厳しくて、品行方正のお手本のように見えますが、そうした律法主義が殺人を生む結果となるのです。それは、キリストが教えた福音とは違います。人間が決めたルールを守れない者は、人間によって処罰されるのです。スパイク・リー監督はマルコムXの奥さんを通して、こうした生き方の問題性を表現しているように思えました。スパイク・リー監督も黒人としては数少ない監督ですが、おそらく個人的な試練の体験をとおして、人間の矛盾を映画作品に残しています。

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