30年ほど前のことです。九州の別府ルーテル教会の牧師をしていたころに星野さんという語学の達人に出会いました。島国である日本では、ネットで情報が容易に入る現在と違って、当時は特に海外文化との交流も少なく、英語だけでも話せれば十分に国際派とみなされる時代でした。そんななかで、偶然に出会った星野さんは、英語のみならず、独語、仏語、イタリア語、そしてロシア語まで堪能でした。不思議に思ったわたしは、その勉強方法を訪ねてみました。海外に長く住んでいたわけでもない人で、外国語をこのようにこなせる人がいることは、青天霹靂でありました。まさに、UNBELIEVABLE(信じられない)!!不会相信!そのころのわたしは、中国語も話せませんでしたから、この驚きは想像を絶するものでした。ところが、この星野さんの勉強法は意外に簡単なものでした。また安価な手段だったのです。それは辞書でした。わたしの辞書の使用法は、中学、高校、大学、大学院と、いつもかわらず、意味不明の単語を検索するだけのことでした。ところが、星野さんは違いました。辞書は彼の愛読書だったのです。わたしたちが小説を楽しんで読むように、星野さんは、各単語の意味や例文を全部読んで、その語彙のニュアンスをまるでネイティブの話し手のように習得していたのです。日本人が日本語を話す際にも、広辞苑や広辞林の例文にあるような高度な知識を背景にして話すわけではありません。ところが、星野さんの方法では、深い知識に裏打ちされた美しい外国語を習得できるのです。その反対の例をあげましょう。アメリカ在住のころに、日系人一世と話したことがあります。彼らの英語には、学問的文法的文化的背景がなく、耳で覚えた音だけの世界ですから、意図は通じますが、ネイティブの人には耳障りです。表現にも深みがありません。ですから、これからの外国語学習は、会話スクールで教養の浅い若い先生から習っただけのピジョン外国語ではなく、星野式語学攻略法のように、辞書をレファランスした重厚なものになる必要があると思います。(そういえば、日本でも、吉川英治や、松本清張は、学歴がなくても、百科事典を読破して教養を身に着けたそうですね。)これはマルコムXの学習法とも共通点があります。わたしのヒーローは、外国人でありながら、英国人もビックリするような美しい英文で小説を書いたジョセフ・コンラッドです。