「クライマーズ」という中国の映画の中で、中国の登山隊がエベレスト北壁という難関を踏破して、山頂に着いた時に、アタック隊員の一人が、三葉虫の化石を見つけて持ち帰り、彼女へのプレゼントにしてしまいました。これが実話かどうかは分かりませんが、エベレストの頂上には、本来は海底にあるべき生物の化石が存在すると聞いたことがあります。おそらくその情報を映画に取り入れたものでしょう。それにしても、海面下にあった地層が、地殻変動によって押し上げられ、世界最高峰の8600メートルの地点にまで届いているとしたら、自然の不思議に驚嘆せざるをえません。聖書を見ると、山に関しては興味深いことが書かれています。「見よ、主はその住まいを出て、降り、地の聖なる高台を踏まれる。山々はその足もとに溶け、平地は裂ける、火の前の蠟のように、斜面を流れ下る水のように。」(ミカ書1章3~4節)ユダヤ人以外の古代の人々は、巨大な山塊を絶対不動のものと見ていました。日本でも、山は、しばしば神聖視されています。しかし、聖書の記者たちは違いました。神の啓示を受けていて、違った視点を持っていたのです。この世の被造物に永遠性や絶対性を認めませんでした。それは、近代科学が地殻変動を発見する数千年も前の話です。エベレストを神聖視する人々は今でもいますが、そのエベレスト自体が、まるで溶けた蝋のように押し上げられてあの高さになっただけだと知ったら、その絶対性は揺らぐに違いありません。この世のものは、何一つ不変ではありません。イエス・キリストがエルサレムの巨大な神殿の崩壊を予告したのも同じです。すべては、天地創造における被造物の小さな部分に過ぎません。「神である方、天を創造し、地を形づくり、造り上げ、固く据えられた方、混沌として創造されたのではなく、人の住む所として形づくられた方、主は、こう言われる。わたしが主、ほかにはいない。」(イザヤ書45章18節)これを、啓示によって知っていたダビデは、「神よ、わたしの内に清い心を創造し、新しく確かな霊を授けてください」(詩編51編12節)と祈っています。わたしたちが困難に遭遇するときに、最も必要なのは、この思いではないでしょうか。