印西インターネット教会

「今だけ、金だけ、自分だけ」の資本主義は方向転換を必要としている

コロナ禍ののもたらしたものは、マイナスだけではありません。日本の殺人的な通勤ラッシュは、海外では笑い話でした。わたしの経験では、過去の埼京線のラッシュがとくに酷く、ドア際で押し付けられて息もできないほどでした。実際にドアが割れた事故も起こっています。しかし、コロナのために、リモートの仕事も増えました。外国の人には、自然豊かな田舎に住んで、リモートで仕事をするのは珍しい事ではありません。むしろ、通勤地獄をへて毎日都心に通うこと自体が異常なのです。コロナはこの事を気づかせてくれました。資本主義は、民衆の幸福のためにあるべきで、産業革命当時のイギリスのように、民衆を搾取してはいけないでしょう。また、コロナ予防は、現在に焦点が絞られていますが、「今だけ」の解決策は対処療法のようなものです。長期的な防疫のための研究と対策に、国家は税金を使うべきです。オリンピック開催は楽しくもあり、経済効果もあるでしょうが、あだ花的です。「今だけ」だからです。将来、何世代にもわたる計画を立てることは、徳川時代の制度からでも学べると思います。次に、金の問題です。マルクスも言っていますが、金とは、人間の労働力の結晶化したものです。だから価値があるのです。まさに、血と汗の結晶です。しかし、人間は単に労働するロボットでしょうか。逆に、労働できない人には労働力がなく、金を生み出すことができないから、無価値なのでしょうか。自分自身の価値観を失った人が、自殺するのも資本主義の弊害の一つかもしれません。しかし、聖書にはこう書いてあります。「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の代わりとする。」(イザヤ書43章4節)つまり、「金だけ」という、わたしたちの世界の価値とは別に、神の絶対愛の中での無条件の価値が存在するということです。旧約時代の預言者たちは、これを信じるがゆえに、迫害にも耐えることが出来ました。「金だけ」ではなかった人々は、過去にもいたのです。イエス・キリストもその一人です。最後に、「自分だけ」、という問題があります。コロナが蔓延して、「自分だけ」では生きていけないことも実感させられました。家族や大切にする人々にも感染させないように、他者への配慮が求められています。コロナ効果です。他者と協力しなければ、疫病対策は出来ません。イスラエルの人々は、今から3千年ほど前に、エジプトでの奴隷生活から解放されました。そのことを聖書では、過ぎ越しと言います。ヘブライ語ではペサ、英語でパスオーバーです。その意味は、エジプトで蔓延した疫病を、イスラエルの人々だけが過ぎ越すことができたからです。トランプゲームのババ抜きで、ジョーカーが通り過ぎてホッとした経験は誰にでもあるでしょう。聖書にはこう書いてあります。神は人々に啓示しました、「肉は生で食べたり、煮て食べてははならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。」(出エジプト記12章9節)これは、調理するときの感染を予防することになりました。それだけでなく、ユダヤ人は外出してから帰宅した時の、身体の清め方についても神から詳しい啓示を受けていました。彼らは、自分たちだけの思いで生活していたのではなく、万物の創造主からのメッセージを大切にしていたのです。今も、わたしたちの時代の、パスオーバー転換の時です。「今だけ、金だけ、自分だけ」ではなく、「持久的に、愛と誠意のある経済で、すべての人の福祉のために」という方向転換です。

モバイルバージョンを終了