フィリピの信徒への手紙2章19節 –24節 文責 中川俊介
19節からパウロの手紙の内容は、教えを中心とした部分からテモテを派遣する話題にと移ります。「ここには神学はみられず使者に関する事柄が書かれているが、ある面ではこの部分が手紙の中心部分であるともいえる。」[1] その理由は、教会が教理で成り立っているのではなく、奉仕者が中心であることをパウロは知っていたからです。それでもなお教理的な面は忘れられることはなく、冒頭には「主イエスにあって」望むと書かれています(日本語とは語順が逆)。「この句で表現されているのは、すべてにおいて主と一致するというパウロの本能以上のことである。」[2] そして、「望む」という言葉自体にも特色があり、ユダヤ教の中ではメシアの到来を待ち望むことと同じ意味になっています。これはパウロに一貫していることですが、自分の願いや自分の判断ではなく、イエス・キリストの意志が第一にされていることです。ですから手紙を書くにあたっても、その背後にイエス・キリストの意志を反映しているわけです。これはもう、パウロの個人的な私信ではなく、パウロという宣教の器を通したイエス・キリストの手紙とも言えるでしょう。
そこでパウロはフィリピ教会のために、弟子のテモテを早急に送ると告げます。その理由は何でしょうか。フィリピ教会に緊急の事態が起こっていたというのでしょうか。獄中にあるパウロは自分自身がそちらに行けたらと願っていたに違いありません。「いずれにせよパウロは、すべての教会が、最善の教会さえ、われわれの心の中にある不一致、利己心、怠慢に対する罪深い傾向によって脅かされているのを認識していた。」[3] しかし、自分が行くのは不可能な状況で、弟子のテモテを代理として送るつもりなのです。フィリピへの最初の伝道からパウロに従ったテモテなら、彼らの気持ちを十分に理解し、適切な指導ができるとパウロは確信していたのです。そして、例によって弟子を送る前に、先方にもそれを知らせています。彼らに心の準備をさせるためでしょう。その辺は非常に牧会的です。また、その理由をパウロは手短に述べています。それは、フィリピ教会の信徒たちの様子を知るためだというのです。何かの命令を伝えるためでもありません。そして、彼らの様子を知って、勇気づけられ「力づけられたい」(新共同訳)からだとします。パウロは気弱になっていたのでしょうか。そうは思えません。パウロ自身はイエス・キリストにおける信仰によって何一つ不足感はなかったと思います。しかし、それでもなお、パウロはフィリピ教会の信徒たちの日々の信仰の様子を知りたいと思っていました。それはあたかも、愛する子の様子を知りたがっている優しい母親のようなものでしょう。そして、そのような愛を感じたフィリピ教会の信徒たちも同時に励まされてことでしょう。このように、愛は愛を生み、倍加していくのです。ちなみに、愛の反意語は憎しみではなく、無関心です。
このテモテ派遣の説明が20節に見られます。そこで、テモテのようにフィリピ教会の信徒たちに対して、誠実に、心配して親身になっている人は他に誰一人としていないからだとパウロは書きます。ただここで、「誠実に」と書かれていることも、その意味上は親身になっていると同じ意味です。ですから、パウロが言いたいことは、彼はまさに神の家族としてフィリピ教会の信徒たちのことを心にかけていると伝えているのです。これほどの確信をパウロが持ってテモテを推薦している理由は何でしょうか。「テモテは、パウロの信頼している唯一の人物である。その愛は私心がなく、パウロ自身と同じように犠牲的である。」[4]
21節でパウロはさらに続けます。そこで、パウロはすべての人が自分自身の事に懸命になっているが、イエス・キリストに対してはそれがないと言います。「私たちは他人のことを顧みないで、自分のことだけを心配するという罪を犯してしまう。」[5] ここにパウロの人間観が見られます。すべての人と言うのですから、全人類の自己中心性を嘆いているとも思えます。何か特定の人びとに対する不満を述べているようには思えません。つまり、普通の人間はイエス・キリストを発想の出発点とすることはできず、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかなどの衣食住の考えが思考の中心となっているのです。聖霊の導きがなければクリスチャンでも同じでしょう。パウロ自身も、復活のイエス・キリストに出会うまではそのようだったことでしょう。しかし、この手紙の中の消息に関する部分の中でさえ、パウロは「主イエスにあって」という言葉を忘れていません。いや、忘れるというような、人間の思考に付加された意識ではなく、パウロ自身が常に「主イエスにあって」生きていたといえるでしょう。それを実感させられる部分です。
22節では、テモテの事にもどります。彼が実証済みなのはあなたがたも知っているでしょうと述べています。新共同訳では「確かな人物」となっています。この部分はギリシア語原文では、検査を受けて本物と証明されたという意味です。「この検査という語は、通貨にするために吟味された金や銀について用いられた。」[6] つまり、保証付きの人物だとしてテモテに絶大な信頼を寄せているのです。わたしたちは、ともすれば自分の印象や感情で人物評価を行いやすいものですが、パウロはそうではありません。何かしらの実際の試練を通して、テモテの信仰と人格を保証できるというのです。というのは、パウロと一緒にテモテは、まるで父と子のように一体となって、福音のために奴隷のように仕えてきたからだとします。それは、この手紙の冒頭の部分でも述べられた言葉です。「テモテが福音の働きの中でパウロと共に働いたことは、親子関係という親密なことばで描写されている。」[7] また、この場合に、パウロが考えていた奴隷状態とは、主イエス・キリストに対する忠実な僕であったということです。パウロはその全容を知っていたのです。
23節と24節には、パウロの願いが書かれています。第一にパウロはテモテをフィリピ教会に送りたいと願っていたこと、そしてパウロ自身も状況がわかり次第、直ちに行けると確信していると述べています。ただそれはある面では励ましのためであって、テモテを先に送ること自体、パウロ自身が訪問する可能性は少ないことを意味しています。「訴訟が結審すればこのことは明らかになるから、そうなりしだいテモテは行くのである。」[8] しかし、それでもなお「彼が希望することは、『主にあって』のみ彼は確信をもって未来の事をみることができるという知識が前提になっている。」[9] つまり、パウロの姿勢は一貫して主と一致するという形だったのです。「彼の将来に関する問題は、彼が解決すべきものではなく、主にゆだねてあったのです。」[10] わたしたちの信仰生活もそうでありたいものです。それにしても、喜びも困難も、主にあって受け止めていたパウロとテモテはなんと幸福な人たちだったことでしょうか。彼らはもう一人ではなく、彼らと共に救い主が常に歩んでくださったという事は、彼らが自己中心的な罪から救われていたという証しにほかなりません。そして神の歴史はそのような人物を次々と輩出していきました。「無限の時の流れの一時点に、生きている一人の存在は、数知れないキリストにある人々の愛の労苦の遺産によると言える。」[11] そして、主イエス・キリストがわたしたちと共に歩んで下さり、誇るべき何ものをも持たないわたしたちも、ただ恵みにおいてその系譜を受け継いでいるということは、なんという光栄、なんという喜びでしょうか。パウロが繰り返し「喜びなさい」、「喜びなさい」と告げているのが聞こえてくるかのようです。
[1] インタープリターズバイブル、「第11巻」、アビンドン社、1978年、67頁
[2] マーチン、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、2008年、128頁
[3] ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、1977年、200頁
[4] シュラッター、「新約聖書講解10」、新教出版社、1977年、33頁
[5] 前掲、マーチン、「ピリピ人への手紙」、130頁
[6] 前掲、インタープリターズバイブル、「第11巻」、68頁
[7] 前掲、マーチン、「ピリピ人への手紙」、131頁
[8] 前掲、ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、203頁
[9] 前掲、マーチン、「ピリピ人への手紙」、133頁
[10] ホウソーン、「ピリピ人への手紙」、ワード社、1983年、113頁
[11] 白井きく、「ピリピ人への手紙を読む」、白順社、1991年、115頁