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パウロの「喜びの手紙」最終章 (読む者が幸せを感じる理由)

フィリピの信徒への手紙4章21節23節                文責 中川俊介

いよいよこの手紙も最後の部分に来ました。筆を置くにあたって、パウロはどんな思いだったでしょうか。再び会う事もできないだろう愛する人々に、パウロは何を伝えたかったのでしょうか。本来なら多くの親しい人の名を挙げたい場面ですが、パウロはそうしません。「その理由は、読者の誰もが同じようにパウロにとって大切な人々であると感じさせたかったからである。」[1]

21節で、パウロが対象にしている手紙の受け取り手は、「キリスト・イエスにあるすべての聖徒たち」です。新共同訳では「聖なる者たち」となっています。おそらくカトリック教会への配慮のためではないでしょうか。しかし、50年ほど前にできたカトリックの個人訳であるバルバロ訳聖書には「聖徒」となっています。それはそうと、「この手紙の中で、『すべて』とか『ひとりひとり』をパウロが特に強調したのには理由がある。」[2] 何故なら、パウロは手紙の最初からすべての聖徒たち、つまり一人一人に宛てて書いているからです。

ここで、わたしたちが日常に用いるイエス・キリストとは語順が違います。どうしてでしょうか。歴史的に文献を調べると1世紀~2世紀の間にイエス・キリストの方が定着したことがわかっています。しかし、パウロ自身は両方を用いています。この「フィリピ信徒への手紙」でも、キリスト・イエスの呼び方も併用しています。これは単なる語順の問題ではないように思われます。そこで文法的な構造を考えてみますと、ギリシア語では形容詞が名詞の前につく場合と後ろにつく場合があります。日本語ではいつも形容詞は前なので前置形容詞と呼ばれています。しかし、フランス語などでは基本的に後ろなので、それは後置形容詞です。ギリシア語では両方あるので、キリスト・イエスとかイエス・キリストと言えるわけです。ところが、意味の上では若干の違いが見られます。もともとはキリストとは、大将や皇帝のような称号ですので、形容詞としての性格が強いものです。そこで、現代のようなイエス・キリストという呼び方では、ベツレヘムで生まれてナザレで育ったイエス(ヘブライ語ではヨシュア)が、メシアであったということが表白されているわけです。あくまでこれは、受肉した地上のイエスがキリストであったという信仰告白にも通じる考えです。一方、パウロが手紙の最後に語ったキリスト・イエスでは、キリストが称号ではなく固有名詞のように扱われているわけです。すると、その意味は、イエスという名を地上で帯びたメシアのことを指します。強調されているのはあくまでメシア(救い主)なのです。ですから、パウロはフィリピ教会の信徒たちに、イエスがメシアであったと信仰告白する必要もなく、メシアの権威に従う者、メシアに召された者、メシアと共に受難する者として、同じく苦難を共にするフィリピの同志たち(聖徒たち)に挨拶を伝えてほしいと願うのです。

前にも述べた通り、聖徒という言葉のギリシア語はハギオスであり、これは欠点のない者という意味ではありません。神のご用のために他のものと区別され、とっておかれているという意味です。つまり、そこで強調されているのは個人の資質ではなく、神の選びという事です。キリスト教の救いの根幹にある、神の選びの思想がここにも表されています。旧約聖書をみますと、モーセ、ヤコブ、エリヤ、ダビデなど枚挙にいとまがありませんが、多くの信仰者の人生の歩みに神の選びが示されていることが知られます。同様に、パウロはフィリピ教会の信徒たちも選ばれていると確信していました。選ばれているからこそ主にあって一つなのです。「パウロが望んでいたことの一つは、違った場所にいるキリスト者に自分たちが共にあると感じてもらう事でした。」[3] そうでなくては、「聖徒たち」という呼び掛けは絶対にしなかったでしょう。これがないと、世界は各個教会主義に陥ってしまうでしょう。幸いにも、ルーテル教会では協力金という形で、教会財政を相互に支えることができています。

また、挨拶するという言葉であるギリシア語のアスパゾマイには、敬意を表するという意味は勿論ありますが、喜び迎えるという意味もあり、手紙の末尾に置かれる表現だそうです。「フィリピ信徒への手紙」の基本テーマが喜びであるならば、その末尾もやはり喜びと賛美で終わるのは、その考えが一貫しているからだと言えるでしょう。そして、その喜びがキリスト・イエスの恵みによるものなのは明白です。またそれは、現代の社会に生きるわたしたちの喜びでもあります。

この部分で、パウロは、フィリピの同志たち(聖徒たち)に挨拶を伝えているだけではありません。同じ言葉の繰り返しのようですが、パウロと共に投獄されている兄弟たちもあなたたちに挨拶を送っていますと述べています。そこにおけるパウロの意図は明白です。それは、この手紙が個人的な私信ではなく、フィリピの教会とローマの教会とをキリスト・イエスにおいて結ぶ重要な役割をもっていたことを示しています。「一般的な手紙の習慣に従って、最後に発信人と読者とを結びつける挨拶がある。」[4]

22節でもこのことが繰り返されます。今度はローマにいる聖徒たちが挨拶を送っていると書いてあります。これは前出のローマの兄弟たちとは違う人々なのでしょうか。それだけではありません。ここでは、ローマ皇帝であるのカイザルの家の人々も挨拶を送っていると伝えています。原文では「カイザル家から出ている」と書かれています。これは何でしょうか。「皇帝の多くの従僕の中にも、キリスト者がいた」[5]、ということです。宮廷の使用人だったわけです。また、ローマ帝国の行政機関で働いていた人々を示しているという意見もあります。それにしても、「彼らが信仰を持つことは、どんなに困難なことであったろうか。」[6] また何気なく書かれていますが、この時、役職はどうであれ、すでにローマ皇帝の周囲にもキリスト教が浸透していたことがわかります。「彼らは初期の入信者であって、パウロがローマで語った福音の知識は持っていなかったが、フィリピ信徒とのつながりはあったようである。」[7] だからパウロは彼らに代わって挨拶したのでしょう。

また、すべての人は神の前に平等であることを教えたパウロも、神が定めた地上の権威は否定せず、カイザルの名を尊重していたことがわかります。そうでなければ、単に政府の役人とだけ言ったことでしょう。それにしても、キリスト教を是認しない政治体制の中で、彼らの信仰生活は困難であったと思われます。しかし、そうした政治の中枢での信仰の証しが、やがて数世紀の迫害の時代を経て、ローマ帝国全体がキリスト教化される第一歩になったわけです。

最後の一句となった23節は、主イエス・キリストの恵みが、あなたがた一同の霊と共にあるようにという祝福の言葉でした。「これは原始教会の礼拝で広く用いられた祝祷であったと思われる。」[8] 逆に言えば、パウロの手紙の言葉の末尾が初代教会の礼拝に用いられるようになったわけです。ここでパウロは霊という言葉を大切に扱います。この霊という言葉は単なる魂のことではなく、内なる命を与えられたキリスト者の事を意味します。そして単数で書かれています。敷衍するならば、父と子と聖霊という三位一体の、霊の単数の部分に匹敵するわけです。多くの霊ではなく、一つの霊において一致しているのです。「キリストと霊的に結びつけられていれば、神の愛を知り、聖霊の交わりにあずかるようになるからである。」[9] もはや自分自身で存在しているのではなく、神の三位一体という命の構造の中に置かれているから試練においても消え去ることのない喜びがあるわけです。そして、礼拝の最後に、一人の信仰者として祝福を受け、帰路につくことができるのです。

また、ここでは、キリスト・イエスではなく、イエス・キリストの語順になっています。ただ、この場合には主という名詞が先にありますから、イエス・キリストという部分はそれを説明する後置形容詞と考えてもよく、ここでは、主に従って生きるパウロの心情が強くあらわされていると言えるでしょう。これは主に生かされ、主に従い、主のもとに召されようとされているパウロの最後の挨拶でした。「この主こそ、初代教会が信仰告白した方でした。」[10] これと類似した「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」(第二コリント13:13)は現代でも礼拝の最後の祝福に用いられています。ですから、わたしたちもまた、この恵みの祝福を受け、喜びの人生を歩むことができるのです。

「最後の『アーメン』を最近の大部分の本文の校訂者は落としているが、これは強力な証拠がある。」[11] 確かに、他のパウロの手紙で「アーメン」で終わっているものもすくなくありません。アーメン(真実その通りであるの意味)で終わるのがパウロの定型だったとも考えられます。祝福自体が神から与えられるものであって、わたしたちの感謝と喜びの応答がアーメンなのです。アーメン

[1]  インタープリターズバイブル、「第11巻」、アビンドン社、1978年、128頁

[2]  ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、1977年、343頁

[3]  前掲、インタープリターズバイブル、「第11巻」、128頁

[4] 白井きく、「ピリピ人への手紙を読む」、白順社、1991年、215頁

[5]  シュラッター、「新約聖書講解10」、新教出版社、1977年、58頁

[6] 前掲、ヴェルナー・ボール、「ピリピ人への手紙」、345頁

[7]  ヴィンセント、「ピリピ人とピレモンへの手紙」、クラーク社、1897年、154頁

[8] 佐竹明、「ピリピ人への手紙」、新教出版社、1969年、290頁

[9]  前掲、白井きく、「ピリピ人への手紙を読む」、217頁

[10]  ホウソーン、「ピリピ人への手紙」、ワード社、1983年、215頁

[11]  マーチン、「ピリピ人への手紙」、いのちのことば社、2008年、188頁

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