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欠点の多かったペトロも救われて使徒とされた

使徒言行録1章12節26節     文責 中川俊介

イエス様が昇天したあと、状況は変化していきます。昇天の場所からエルサレムまでは歩いてすぐに行ける距離です。12節に詳しく書いてありますが、安息日に許可された最大歩行距離は900メートルですから、10数分で行ける距離ということです。「安息日の道のりは、荒野におけるイスラエルの設営の大きさにのっとり、約900メートルであった。」[1] 弟子たちは、ここでは既に「使徒」という名称になっていますが、なぜ、故郷のガリラヤに戻らず、危険の満ちているエルサレムに留まったのでしょうか。「高いところからの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ福音書24:49)の言葉に忠実に従ったものと思われます。また、13節にあるように、彼らはガリラヤの出身でしたから、エルサレム市内の宿泊所に滞在していたことがわかります。そこには11人の使徒たちと、イエス様の家族の者、婦人たちも一緒にいました。11人の弟子たちの名簿は、ルカ福音書6:14以下のものと類似していますが、ヨハネとトマスの順位が上がっていることがわかります。それなりの理由が背景にあるようです。イエス様はこのような人々を、教会の中心となる人物として選んだのです。わたしたちはどうでしょうか。自分で選んでいるのでしょうか、それとも選ばれているのでしょうか。

それはともかく、彼らは、熱心に祈っていました。「これが最初のエクレシアであった。」[2] エクレシアとは教会という意味です。ひたすら祈るということは、「ただ祈りに集中することだけではなく、自分を明け渡すことにほかなりません。」[3] ですから、教会とは己を明け渡す者たちの群れであると解釈することもできます。特に彼らが十字架の主から逃げてしまい、命を明け渡すことのできなかった、自らの弱さを強く自覚したことが祈りの原動力になったと思います。弱く、勇気のなかった、彼らが伝道の担い手となっていったのは不思議なことです。今日の伝道の担い手はだれでしょうか。強いもの、時間が十分にあるもの、裕福なものでしょうか。

特に、イエス様の家族が一緒だったことが興味を引きます。普通でしたら、イエス様が立ち上げた宗教集団ですから、イエス様の母とか、兄弟たちが一番高い地位に立ちそうなものですが、聖書のなかでは、血縁が尊重されることはなく、神の選びが第一となっています。「教会は、みんながいいと思うことを、みんなの総意で行っていく団体ではありません。」[4] 人間の原罪を考えればそれは明白です。罪ある人間が集まれば、罪が増すだけであり、罪ある結論しかでてこないのは明白です。イエス様の家族であっても、家族を尊重するというのは人間的であって、イエス様は福音の宣教においては家族が敵対する場合も述べています(マタイ福音書10:34以下参照)。初代教会の人々は、人間の脆さを経験していましたので、神の指示を祈りによって求めたのです。

次に、ペトロの行動が目をひきます。「ペテロの優位はその働きの途中で初めて形造られたものではなく、初めからイエスの独自な秩序づけによってなったものであることを、ルカははっきりと証ししている。」[5] 15節をみると、そこには120人もの人々が集まっていたようです。120という数は、ユダヤ教で共同体を形成する最小単位でした。つまり、イエス様をメシヤと信じる人々の公式な群れが、ここにできたことが示されています。特にこの場合は男性の数のようです。これは、先のエルサレムの宿泊所の時とは違う場所かもしれません。あるいは、同じかもしれません。それはともかく、ペトロの演説の主題は、イエス様を裏切ったユダのことでした。ある面では、それはすべての弟子たちの関心事だったことでしょう。信仰者の中から反逆者がでたことについて、動揺と疑惑があったに違いありません。ここでも、ペトロは、その裏切り行為を偶然の個人的な出来事とはせず、ダビデの預言の通りだった言っています。わたしたちは、ともすれば、運が悪いとか、不注意で失敗したとか、状況判断して原因をそこに求めますが、ペトロはイエス様と同じように、聖書に立った必然性を強調しています。

誰にでも弱さがあり罪があります。しかし、「ユダの罪は弱さではなく、絶望ではないでしょうか。」[6] ユダこそ、わたしたちの不信仰の象徴でもあります。そして、さらに、ダビデの預言についても、ペトロはダビデを神格化することなく、この預言は聖霊がダビデの口を用いて語ったのだという点を明確にしています。神の臨在が大事なのであって、ダビデという人格を特別に重要視しているのではないのです。わたしたちはどうでしょうか。人間の上にある神の働きをおさえているでしょうか。それとも、人間の言葉を信じているのでしょうか。この点を話し合ってみましょう。

16節で、ペトロが「この聖書の言葉は、実現しなければならなかった」と表現していることは重要だと思います。仲間の裏切り、そして指導者イエス様の処刑という厳しい現実の中に置かれても、それは当然起こるべき事柄であったと人々に説いたのです。「ユダの変節とその欠如を他の者で補わなくてはならないことは、旧約の預言の対象であるとみられていた。」[7] このペトロの演説すら、2千年後に生きるわたしたちには、聖霊がペトロの口を借りて語ったとしか思えないものです。性格的に熱しやすく冷めやすいペトロが、このように聖書の深い真理をもって人々を教えたということ自体が、奇跡のように思われます。

17節にユダの過去の役割が述べられています。使徒たちの仲間であったということは、特別な意味があったということです。宣教の任務を持っていたのです。ユダのその後については、福音書のなかでもマタイ福音書(27章3節以下)だけに書いてあります。それによると、ユダはイエス様を引き渡した礼金として、銀貨30枚を受けとっています。この銀貨が、デナリオン銀貨かドラクメ銀貨だとすると、総額は約30万円の礼金を受け取ったことになります。ユダは後悔して、金を返そうとしたが受け取ってもらえず、金を神殿に投げ込んで、そのあと首つり自殺して死んだとあります。この記事と、使徒言行録の表現にはいくらか違いが見られます。ユダは首つりで死んだのであって畑に落ちて、体が割れて死んだのではないのです。しかし、アウグスチヌスはこのように説明しています。「彼は首に綱を結んだが、落ちてしまい、腹があたって裂けてしまった。」[8] また、不正を働いて得た報酬は、ユダが会計をしていた時の収入であって、裏切りの報奨金ではなかったかもしれません。ただ、ユダの土地は、「血の土地」とか「血の畑」と言われていたのは確かです。「いずれにせよ、ルカもまた、ユダの最後はエルサレムの住民にとって、はっきりと神の裁きのしるしを帯びており、このことはその畑の名前に表現されていることを強調している。」[9] その荒廃について、ペトロは20節で詩編69:25以下を引用します。これは、ダビデの祈りですが、その中で敵に対する神の処罰を願った箇所として有名です。また、ユダの職務に関しては、詩編108:8が引用され、他の人にユダの使徒としての任務が引き継がれることを示しています。当時の弟子たちにとって、詩編の内容は救い主に関する預言として受けとめられていたことがわかります。ですから、詩編の作者の敵は、救い主の敵のことだと考えられたわけです。「ヘロデも、自分を神の立場に置いたので、同じような形で死んだとヨセフスは記述している。」[10] ペトロも、裏切者が出て、役割交代することは、神の定めだと解釈しました。特に、ユダが公的な使徒という役割をもっていたので、これらの聖書の箇所があてはまるとペトロは判断したのです。イエス様ご自身も裏切りを予告していたのです(ヨハネ福音書13:21以下参照)。これは個人の性格の問題ではなかったわけです。「教会は欠けがあることがいけないのではなく、このあまりに人間的な欠けのところで、人間的になることがいけないのです。この欠けのところで、真に主を仰がなくてはなりません。」[11] わたしたちは教会に置いてどのように主を仰ぐべきでしょうか。皆で考えてみましょう。

21節以下に、この演説でペトロがなにを訴えたかったかがわかります。ヨハネの洗礼から昇天までのイエス様の伝道活動を共にした弟子たちの中から、もう一人が使徒として選ばれるべきだというのです。わたしたちなら、残った11人でやればよかったと思ってしまいますが、ペトロは12という数にこだわるように、聖霊の示しをうけたのでしょう。12が完全数なら、いつまでもそれを不完全な11に留めておいてはいけないわけです。また「この数を満たすことは、復活のあとでも、イエス様がメシアであったことをユダヤ人に示す働きが継続していたということを表しているようだ。」[12] そして、ここで明確になるのが、単なる弟子ではなく、使徒としての役割です。それは「主の復活の証人」ということでした。その証人とは、殉教者と同じ意味の言葉ですから、共に死に共に復活にあずかるという意味が込められているのでしょうか。殉教覚悟で彼らは御言葉を伝えようとしていたのです。「ある注解者は、この場面で教会は誤って判断してマティアを選んでしまったのであり、彼らは神ご自身が選んだパウロの登場を待つべきだった、と述べている。」[13] それもそうでしょうが、やはり全てには時があり、パウロ自身も自分が12使徒に入っていないことを気にしているようでもありません。使徒であればよかったのです。

そこで、23節以下にあるように、人々は、ヨセフとマティアの二人を推薦しました。信仰深く仲間からも信頼されていた人々だったのでしょう。「つまり、バルサバにしろ、マッテヤにしろ、甲乙つけがたい人物だったのです。」[14] その後は、選挙ではなく、神への祈りでした。その祈りは、神の御心を求める祈りでした。神はすべての人の心の中をご存知であるということは、どの人物が適任であるかを、人間は知ることができないが、神は分かっているということです。ユダについては、なるべくしてなった当然の帰結だったということです。ただ、任務は継続されなくてはならないのです。それは神の定めた働きだからです。「彼らはその使徒職への招きによって、栄誉と権力ではなく、奉仕が課せられていることを、はっきりとした自覚をもって確認していた。」[15] 最後に彼らは人物を選ぶために、くじを引き、マティアがえらばれました。「くじをもって神意を知ることも、使徒行伝において、これが最初でありかつ最後である。」[16] 旧約の時代に尊重された方法(箴言16:33参照)は、聖霊の導きによって置き換えられていくのです。それはともかく、人間の判断や人望もあったと思いますが、最後に二人を残し、その二人を人間の判断が一切関与しないくじに委ね、神の御心を求めたところに興味がわきます。人間の働きを放棄したわけではありません。きっと協議してヨセフとマティアをえらんだのでしょうが、最後は神の御心なのです。この姿勢をわたしたちも持ちたいものです。「その後、マティアはエチオピアに宣教師としてつかわされたとする伝承がある。」[17] 選びは、派遣を意味していました。それはもはや受け身の弟子ではなく、使徒でした。つまり、初代教会の特徴とは祈りであり派遣だったのです。その意味では、後に登場するパウロも立派な使徒だったと思います。また、弱く罪深いわたしたちも使徒であるはずです。

[1]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、10頁

[2] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、549頁

[3] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、15頁

[4] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、32頁

[5] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、14頁

[6] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、19頁

[7] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、47頁

[8] 前掲、F.ブルース「使徒言行録」、49頁

[9] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、16頁

[10] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、32頁

[11] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、20頁

[12] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、63頁

[13] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、67頁

[14] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、42頁

[15] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、18頁

[16] 前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、565頁

[17] 前掲、F.ブルース「使徒言行録」、51頁

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