印西インターネット教会

酷暑の中でヨナの気持ちがわかった

ヨナは神の命令を受けて、ニネベの町をまわり、悔い改めを迫りました。すると、神の裁きによる滅亡を恐れたニネベの人々は「神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった」(ヨナ書3章5節)と書いてあります。神はその様子を見て、裁きを中止しました。ところが、ヨナは不満であり、怒りをおぼえました。その時、神はヨナを叱ることなく、まだニネベの都の裁きに期待して遠方から眺めるヨナのために成長の早いトウゴマの木をはやしました。トウゴマは暑い日差しを遮って、遠くの町の様子を観察するヨナに日陰をつくってくれました。ところが、翌日、神は虫に命じてトウゴマの葉を全部食い荒らさせたので、木は枯れてしまいました。そのうえヨナは、ハムシーンという砂漠を越えてくる熱風にさらされ、灼熱の太陽光にジリジリあぶられたのです。これにはヨナも参った事でしょう。わたしも、友人の農家から畑を借りて落花生をつくっていますが、真夏の草刈りをしているとヨナの気持ちがわかります。あまりにも熱く、気温が35度以上になるので、時々は木陰で休みますが、太陽の位置がかわって陽光が体にあたると、焼けつくような暑さです。ヨナの場合には、ニネベの近くの乾燥地帯ですから、おそらく、気温は50度前後だったでしょう。そのつらさもわかります。ただ、もしヨナがタイムスリップして日本にきたら、「これはたまらない」と言うかも知れません。何故なら、日本の夏は湿度が高くて体にキツイからです。わたしもイスラエルに住んでいた時に、ネゲブ砂漠の近くまで旅したことがありましたが、気温50度でも、湿度がゼロに近いので、日陰にいるかぎりは苦しい思いはしませんでした。でも、日陰のない暑さの中でヨナの気持ちがわかった気がします。ニネベと違って、現在、世界中がコロナ禍ですが、これを神の裁きの一つと考えて悔い改める人々はいるのでしょうか。やがて、大隕石の激突などで人類史が終わることも聖書は預言していますが、これも地球という惑星の歴史からみると過去にも起こった明白な事実です。わたしたちには何もできませんが、せめて、今与えられている日々を感謝し、不平不満を避けたいものです。ヨナ書の最後には、ヨナ自身の言葉はありませんが、神の諭しを受けて、ヨナも自己中心的な態度を反省したことでしょう。

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