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神への畏敬の念を忘れてはいけないという実例

使徒言行録5章1節16節   文責 中川俊介

初代教会はすべてが順調だったわけではありません。前回見たように、聖霊に満たされた使徒たちは財産を売却し、貧しい者を助けました。それ自体はとても慈愛に満ちたことでした。しかし、すべての者が聖霊に満たされたわけではありませんでしたし、すべての者が財産を分け与えることに積極的だったわけではありません。違った面からみますと、教会の状況を理想化しないのも聖書の一貫した姿勢です。「聖書はどこにも人間の品性の立派さや、その道徳性の完全さなどを述べていません。」[1] それは、旧約聖書において特に顕著です。

さて、ここで一つの問題が生まれました。問題の当事者であるアナニヤと妻のサフィラは個人名で登場します。「現代の読者にとって、使徒言行録のこの部分は最も難解なものの一つであろう。」[2] 彼らも、他の信徒と同様に自分たちの土地を売り、貧しい人々に分配できるように準備しました。ところが、2節にあるように夫婦は相談して売却額をごまかし、一部だけを使徒たちのところに持ってきました。アナニヤと妻のサフィラは、それがあたかも全額であるかのように告げたのだと思います。全額をささげている者たちと同じように、自分たちも信仰に立って、すべてを委ねている姿勢を見せたかったのでしょう。「その場合おそらく栄誉を受けたいとの願慮もあったであろう。」[3] 特に強制はなかったと思いますので、これは売却額の一部ですと言えばそれで済むことだったでしょう。ですから、このことは、彼らのプライドがそうさせたのです。

すると、この状況を直感的に察知したペトロは、3節にあるように、アナニヤに対して彼がサタンに心を奪われ、聖霊を欺いたと厳しく指摘しました。ペトロには聖霊によって霊的な洞察力が与えられたかのようです。「悪魔は、いつでも教会の中に、またキリスト者の中に働こうとします。そしてそれを堕落させ、混乱させ、神から離れさせてしまおうというのが、その目的のようです。」[4] ですから、アナニヤと妻のサフィラの慈善行為は、いつのまにかサタンに惑わされて、神から離れるという背信行為になったのです。善を悪に変えるのが悪魔の目的です。ですから、ペトロは、資産の分割割合だけを見ていたのではなく、アナニヤがその金を使徒の足もとに置いたこと、つまり公式な形で信仰的な献金としたことに偽りがあったことを指摘したわけです。「使徒たちの足の下に置いたというのは、所有権を使徒たちに移譲したことを意味する。相手方の足の下に置くことが、権利移譲の要式行為であった。」[5] これは、旧約聖書レビ記27章30節以下に「収穫量の十分の一は主に属す」と書いてあるのと同じ意味です。ささげた金額はすでに主に属していたのです。ですから、アナニヤが、献金を神への偽りのない全額として表明したことが問題だったと思います。なぜなら、「使徒たちは聖霊によって満たされた人々であり、神を象徴する人々」[6]、と考えられていたからです。ペトロもそのことを黙認するわけにはいきませんでした。人間的にみれば、額の相違にすぎないということで終わるでしょう。勿論、ペトロもずいぶんいい加減なところもあった人物であり、赦されて生きていた方ですから、厳しく接する弊害も知っていたことでしょう。そういうペトロだったとすると、ペトロがここで厳しく指摘したことはペトロ自身の判断によらないように思えます。「どれほど努力しても、ペトロがここで行っているようなことをキリストが罪人に行うとは想像できないのである。」[7] イエス様は罪人に憐み深い方でした。ですから、ここではペトロを通して聖霊が語ったともいえます。そして、著者であるルカは聖霊の働きを伝えようとしていることは一貫しています。処罰ではないはずです。

4節にあるように、土地売却や献金は各人の自由意志によるものであり、現代の教会がそうであるように、律法的に束縛されたり強制されるものではありません。ただ、神の前に全額ではないものを全額ですと明言し、聖霊に逆らったのが悪魔の業となりました。問題は額ではないという例として、福音書に登場するザアカイの場合は財産の半分を貧民のためにほどこすと約束して、イエス様に喜ばれました(ルカ19:8参照)。ですからこれは、信仰の問題と言えるでしょう。また、慈善の行為がいつも正しいわけではありません。それは人の業でもあるからです。「聖書の真理をろくに教えもせず、慈善によって人を引き付ける宗教は、真に人のたましいを愛するものとは言えない。」[8] 厳しいけれど本当です。わたしたちの場合はどうでしょうか。わたしたちの行いは信仰を基本としたものなのでしょうか。考えてみましょう。

ペトロは、信仰抜きの偽善的慈善を「神を欺いたのだ」、という一言でアナニヤに告げました。まだ自分に属するものが残していながら、全部神に属すると言ったからです。すると、ペトロの言葉を聞いたとたんにアナニヤは倒れ、息が絶えたと5節にあります。「隠しておく」という言葉に使用されている動詞は、戦利品を私物化したアカンの事件が載っている旧約の並行記事の動詞と同じものだそうです(ヨシュア記7:1以下)ただ、この時にアナニヤには悔い改める機会もあったと思います。自分の過ちを指摘され、素直にそれを認め、反省することもできたでしょう。しかし、究極的にはわたしたちに選びえない事柄です。できたら、アナニヤにも以前のペトロのように悔い改めて新しい人生を歩んでほしかったと思います。しかし、悔い改められず、ユダのように自ら死を選んでしまうこともありうるわけです。それを、わたしたちが、あれこれ主張するのも神への越権行為のように思えるし、神から離れさせてしまうという悪魔の罠に落ち込む危険があります。自分の不幸に関して神に反論したヨブが、最後に神から「神を責めたてる者よ、答えるがよい」(ヨブ記40:2)と迫られ、「わたしは軽々しくものを申しました。どうしてあなたに反論などできましょう」(ヨブ記40:4)と答えた中に信仰者のあるべき姿が見られます。「裁きとは、神を神とせよ、ということにほかなりません。」[9] これは裁きだったのです。その裁きを、アナニヤには受けとめることができず、そこで彼の人生は終わりました。裁きの厳しさを謙虚に受け止めることによって、わたしたちは、自分以外の神という存在に目が開かれます。

これを聞き知った人々に恐れの思いが広がったのは言うまでもありません。使徒たちも、アナニヤの死を願って呪ったわけでもなく、神の働きによってこのような事態が生じたのです。ここで、わたしたちは、わたしたちの人間的な願望と神の業の違いについて話し合ってみましょう。

アナニヤの死後、人々は彼の遺体を運び出し、埋葬しました。いまでもイスラム教には死後24時間以内に遺体を埋葬するという習慣もあるようです。ですから、ユダヤ教の場合でも早急に埋葬するということは不自然ではなかったのでしょう。ただ、不思議なことにこの埋葬は家族の承諾なしに、また葬儀なしに済まされました。おそらく、神の裁きが下ったという恐れの意識があって、そうしたのではないでしょうか。

そこで、7節にあるように、アナニヤの妻サフィラが3時間後、たぶん祈りの時間に、使徒たちのところにやってきて事態を知ることになりました。「アナニヤの死はペトロにとってショックだったかもしれないが、この3時間のうちに、彼は悲劇の原因を考え、これが教会とその中に働く聖霊への偽証に対する神聖な裁きであったと理解したのであろう。」[10] すでに、アナニヤの埋葬を済ませたペトロでしたが、サフィラに対して報告することも、弔辞を述べることもしていません。8節を見ますと、ペトロはあたかも検察官のように、これまでのことは全く知らなかったかのようにサフィラに事実の確認を迫りました。彼は聖霊にうながされて、サフィラにも尋ねてみる必要を感じたのでしょう。再び、土地売却の総額を尋ねています。サフィラは前後のいきさつを知らないものですから、夫と相談していた通りに答えました。何故、ペトロが額を聞いたのかといぶかしがることもなかったようです。ただ、額の聞き方が不自然でもあります。読者への配慮でしょうか。その後、ペトロは、9節にあるように、あなたは夫婦で相談して主を「試みている」とサフィラに告げました。これはマタイ福音書4:7でイエス様がサタンにたいして「あなたの神である主を試してはならない」と言ったのと同じ意味です。サタンや悪魔は、自分の都合で神の意志を曲げようとします。己が意のままに神を動かそうとすることが「試みる」ことなのです。「『主の御霊を試みる』と書いてありますが、聖霊が殺したのではありません。ある意味で彼らは、自分で滅びを刈り取るのです。」[11] 神を軽々しく考える冒涜行為が試みることなのです。試みることの反対は、神への畏敬です。「わたしたちの多くは、自分の稼ぎが自分の労苦の当然の報いだと錯覚している。しかし、実際は、わたしたちが神の生命、力、知識、創造力と能力などの恵み深い賜物の報いを受けているのである。報酬は神に属するものである。」[12] 人生の所属という根本問題がここの中心点です。

サフィラは自分の夫がこの「試み」によって災いを身に受け、すでに葬られたことをこの時点で知らされました。ここでもサフィラは、悔い改めることもできたでしょう。ですが、彼女はそうしませんでした。そこで、彼女もまた夫と同じように息絶えてしまったのです。とても残念なことです。わたしたちが冒涜ではなく畏敬の道を歩むにはどうしたらよいのでしょう。皆で話し合ってみましょう。

12節以下に、その後の使徒たちのめざましい奇跡の業のことが書かれています。これは、聖霊の著しい働きが見られたということです。以前は、イエス様しか行うことができなかったような働きが、もとはガリラヤ湖の漁師だった使徒たちによって継承されたのです。「教会員の増加ということは、ここで教えられますように、人を救うわざが行われたことの結果として起こってくることなのです。」[13] 彼らの心は一つでした。「それは神が支配した時なのであります。わたしたちが互いの顔ばかり見ている時、欠点が目につき、長所がねたましく思え、決して一つにはなれません。」[14] 同じ信仰、イエス・キリストに所属するものとなったのです。それは自分中心の考えを捨て、神の愛に生きるようになったということです。ところが、それを奇異に感じてか、13節には、他の人は使徒の仲間になろうとしなかったと書いてありますが、一方で、聖霊に導かれて主を信じる者は増加していきました。彼らの活動の中心は、エルサレム神殿のなかにあるソロモンの回廊でした。ここでは宣教してはならないと命じられた場所でしたが、神の自由を得た彼らにとって、社会の規制や脅かしは無意味でした。また、病人などは汚れていると考えられていたので神殿には入れませんでしたが、エルサレムの大通りに運ばれてきて、使徒たちから癒されるのを待ったのです。ここでわかるように、初代教会の伝道の働きはイエス様のみ名によって多くの病を癒すことと人々の必要を満たすことにあったと思います。

驚くべきことは、16節に書いてあるように、病気の者は例外なく癒されたのであって、そこに神の絶大な力が強調されています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネ3:16)アナニヤと妻のサフィラの出来事は悲しい出来事でしたが、これは教訓として、わたしたちが慈善や行いの正しさではなく、神に所属する信仰に立ち、悔い改めながら主に従い、神からの力を受ける道を示しているのではないでしょうか。

[1] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、71頁

[2] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、110頁

[3]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、65頁

[4] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、177頁

[5] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、620頁

[6]  前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、112頁

[7] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、112頁

[8]  前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、625頁

[9]  前掲、蓮見和男「使徒行伝」、74頁

[10]  前掲、F.ブルース「使徒言行録」、115頁

[11]  前掲、蓮見和男「使徒行伝」、72頁

[12] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、62頁

[13] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、187頁

[14] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、78頁

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