印西インターネット教会

寂しい道を元気に歩むことができた弟子たちの信仰に学ぶ

使徒言行録8章26節40節 文責 中川俊介

聖書では、新しい状況が生まれる時に、天使の導きがあったことを告げる場面が多くあります。今日の箇所もその一つでしょう。26節に天使がフィリポに命じて南に向かうように示唆しました。ここで、まずその天使ですが、天使は独立した神的パワーなのではなく、「主の」という説明が頭についていて、天使もまた主なる神に服従するものであることが明白です。これをもっと広く考えますと、信徒も、独立した信仰者なのではなく、「主の」信仰者なのだと理解すると良いでしょう。こうした従順さを、イエス様は信仰と同義に考えていました(マタイ8:5以下参照)。また、もう一つの着目すべき点は、フィリポのことです。彼は12使徒ではなく、後で食事の世話をするために選ばれた7名のうちの一人でした。この7名の筆頭はステファノでしたが、彼は迫害されて殉教しました。残った6名の中でフィリポは著しい伝道活動を行い、特にエルサレムより北にあるサマリア地方でキリストの福音を伝え、多くの信者を生みだしました。人間的に考えれば、そのフィリポがサマリアに何年も留まり、大きな教会を形成し、人々の信頼を集めれば、良い働きとなったと思うような場面ですが、天使はフィリポにそこを離れるように命じました。「主が別なところで彼を必要とするとの指示を受け、サマリアのキリスト者たちはひとり立ちして彼らの道を進まなければならなくなった。」[1] この点が大切だと思います。それは、アブラハムが故郷を出発して遠い見知らぬ国に旅立ったのに似ています。フィリポはサマリアを離れ、エルサレムより南にあるガザ地区へ行くように命じられました。不思議なことに、そこには「そこは寂しい道である」という説明がついています。おそらく、ガザ地方のことを知らない読者に、フィリポが困難をものともせずに主の導きに従ったことを知らせるためだと思われます。「人間が得よう得ようと思うと、かえって荒廃があり、御霊に従うとき、かえって実りがあります。」[2] わたしたちはどうでしょうか。「寂しい道」を歩む覚悟はできているでしょうか。皆で話してみましょう。

27節にあるように、フィリポの行動は素早いものでした。荷物をまとめ、人々に別れを告げて、ガザに向かったのです。それにしても、「ユダヤの町にも、サマリヤの町にも、救われるべき人はたくさんいるはずなのに、何を好んで荒野の道へ行かなければならないのでしょうか。」[3] ところで、この海岸地帯のガザは現代の民族紛争の地域ですが、昔のガザはもっと内陸部にあって、シルクロードとエジプトを結ぶ隊商路にありました。そのような背景があって、それはエチオピア女王カンダケに仕える高官が、エジプト経由で本国に帰る道筋でもあったのです。ちなみにカンダケとは国の宰相を示すものであり、個人名ではなく公式名称だそうです。またエチオピアですが、「以前のエチオピアはナイル川の上流、アスワンからカラツームに至るあたりに居住していた民族であって、今のヌビア地方にあたる。」[4] 彼がエルサレムまで礼拝に来ていたことは、その時代にユダヤ教の影響がアフリカ北部まで広がっていたことを示すものでしょう。「今のエチオピアにも、ユダヤ教の会堂の影響があって、そこからエルサレムの神殿に参詣にゆく者があったのである。」[5] その証拠に、エチオピアの高官は、28節にあるように、帰路の馬車の上でイザヤ書を熱心に読んでいたのです。ただ、聖書はヘブライ語からギリシア語に翻訳されていましたが、ギリシア語を読めるエチオピア人というのは、かなり教養ある上層階級であったと思われます。

次の場面で、再び神の導きがフィリポに現れます。神の霊がフィリポに命じてこの高官の馬車に追いつくようにさせたと29節に書いてあります。最初に、天使がガザ行きを命じたのはこのためだったのでしょうか。当然、フィリポは従順な信仰的態度でこの指示に従います。そして走ります。目的は、馬車上でイザヤ書を読むエチオピアの高官です。馬車と言っても引いているのは牛のことが多かったようですから。それほどの速度ではなく、すぐに追いつくことができたでしょう。確かに、霊の指令通りに馬車のところに行くと、その高官が声を出してイザヤ書を朗読しているのがわかりました。当時は音読が普通だったそうです。

30節にあるように、フィリポはサマリアでもそうであったように根っからの伝道の人でした。エチオピアの高官に質問したのです。これはソクラテスの産婆術に似てなくもありません。問いかけによって真理を引き出し、相手に深い洞察を与えるのです、宗教改革の際には、ルターがこの手法を用いて、小教理問答書を編纂しました。フィリポの質問も聖書を理解させるためのものでした。わたしたちはどうでしょうか。「読んでいることがわかる」のでしょうか。それとも、わかっていると思い込んでいるだけでしょうか。この点について皆で話し合ってみましょう。

31節に、高官の返事がでています。指導してくれるものがなければ理解できないというのです。「旧約聖書は釈義なしには十分に理解することができない。神秘的な言葉の意味を開示するには一つの鍵が必要である。イエスは弟子たちにそのような鍵を提供していた。」[6] フィリポは現代の牧師のように神学校に行って専門教育を受けたものではなく、もともとは食事の世話をするように選ばれた者にすぎませんでしたが、彼は聖霊と知恵に満ち、イエス様と同じ働きをしたのです。馬車まで走って行ったフィリポに、高官は同じ馬車に乗って走りながら教えてくれるように頼みました。おそらく、本国には多くの仕事があって、止まって教えを乞う時間はなかったものと思われます。

ここで、32節から筆者であるルカのナレーションが入ります。新約聖書の多くの場面描写の中でも最も優れたものの一つではないでしょうか。その説明によれば、エチオピアの高官が朗読していた聖書の箇所は、イザヤ書53章7節以下でした。これは共同訳では「主の僕の苦難と死」という題のついている部分です。これがなくては、イエス様の働きは単なる奇跡や道徳に終わるでしょう。イエス様の十字架の意味が解らないでしょう。イザヤ書40章以下は第二イザヤと学問的には呼ばれています。そして、そこの中心命題は救い主の代理贖罪的な死なのです。

このイザヤ書の箇所は、受難者の受動的な柔和な態度を、小羊とか僕の姿に譬えています。苦しみを押し付けられても、それに抵抗しようとはせず、神が定めた苦難に従う姿勢です。そして、本当は位の高い方なのに、最低の線まで卑しめられ軽蔑されたということが書かれています。また、「イエスには、この僕の役割を自分が担う者であるとの自覚があった。」[7] これが人間の精神で書かれた書物ならば、必ず、救い主の立場は栄光化されたでしょう。しかし、聖霊はわたしたちが考えもしなかったことの中に神の永遠の真理を示します。

エチオピアの高官は、普通の宗教的観念を持っていたので、神とか礼拝とかはどうにか理解できても、代理贖罪的死はとても難解な概念だったのです。おそらく、それは現代のわたしたちにとっても同じではないでしょうか。神の御子の代理贖罪的死が旧約聖書に始まり、新約聖書において完結する救済論の根幹なのです。ですから、エチオピアの高官は、そうした最も大切な点を聞いたのです。そして、この苦難を受ける者は誰なのかを知りたいと34節で問うたのです。もしかしたら、自分が宦官として苦難を受けていることだろうかと、彼は思ったのです。わたしたちはどう考えるでしょうか。

35節には伝道者フィリポの態度が書かれています。彼は、イザヤ書から説きおこし、それを受難の救い主イエス・キリストの福音として語ったのです。「神は聖書を説き明かす人を用意しておられます。」[8] おそらく彼がサマリアで告げた福音も同じだったでしょう。理論ではなく歴史的事実でした。それに、遥か昔に聖書によって預言されていたことの成就でした。人類の救いを実現する神の愛のリアリティーでした。「ピリポは、この財宝官に、私たちがいかにしてイエスの恵を受けるかについても語った。信仰者がゆるしを受ける洗礼は、その十字架の死に基づいているからである。」[9]

これを聞いて、高官は洗礼の決意をしました。彼らが馬車で走っていた場所は水の少ない砂漠地帯のような場所でした。しかし、エジプトに向かう道の途中に、昔アブラハムの側室ハガルが追い出され、砂漠地帯で飢え渇いていたときに見つけたオアシスの場所のような水のあるところがあったのです。エチオピアの高官はやっとイザヤ書53章を理解し、キリストの福音を知ったばかりでした。でも、それで十分だったのです。彼にも聖霊の働きがあったのでしょう。人間の知識ではなく聖霊の与える神の知恵によって、高官は洗礼を受け、イエス・キリストの福音を信じる者になろうとしたのです。その時に、洗礼は可能かどうかを聞いています。何故なら、彼は宦官だったので、真のユダヤ教徒になることは禁じられていたからです(申命記23:1参照)。フィリポは何も障害がないことを告げました。キリストの愛の前には一切の差別はないのです。38節には、彼らが車から降り、フィリポも高官と一緒に水の中に入り、洗礼を授けたことが記録されています。古いテキストの一つには、高官がイエス・キリストを神の子と信じて洗礼をうけたと記録されています。

この洗礼には後日談が付加されています。洗礼の水から立ち上がると、主の霊の働きがありました。一つは、フィリポの姿が見えなくなったことです。これは意味深いことです。フィリポが偉大なのではないのです。フィリポは主に命じられたように行った僕にすぎないのです。僕は僕の仕事が済んだ時に消え去る黒子のような役割を担っています。これは大切なことですが、クリスチャンの働きも同じではないでしょうか。福音宣教の仕事が完成すれば消え去るのです。ただそれは空しい働きではありません。エチオピアの高官は、喜びにあふれて本国に帰って行ったからです。「彼が喜びに満たされて帰路についたという事実は彼が聖霊を受けたということを想起させる。」[10] 現代でも、エチオピアにはコプト教会という古代の教会が残っていますが、彼の伝えた喜びの福音は歴史を貫いて存続したのでしょう。「わたしたちはかれがその後どうなったのかを知らない。しかしイレニウスは彼が自国で宣教師となったと伝えている。」[11] 真実なものは消え去ることはありません。一方、その場で姿を消したフィリポは消失したのではなく、アザトに現れたと40節にかいてあります。アザトはヘブライ語のアシドドのギリシア読みです。そして、このアシドドの位置は、遥か南のガザとエルサレムの東で海岸の町であるヤファとの中間の場所です。ガザの北50キロ、ヤファの南60キロくらいの場所です。フィリポはそこを新しい出発点として、再び福音を伝えながら、町々を訪れ、ヤファを越え、その北にあるカイサリアまで到達しました。それは長距離の伝道旅行でした。「フィリポがこれらの海岸都市におけるキリスト教社会の創設者であると、ルカは暗に示しているのかもしれない。」[12] この地域はのちにペトロが福音を伝えたですが、その前にフィリポが開拓伝道していたのです。そこで彼は結婚し、家庭をもちました。そして聖書が告げたいことは、フィリポが聖霊に導かれてそのような目覚ましい働きを行ったという事です。それは、やがてあらわれるパウロの伝道旅行の前哨戦とも言えるでしょう。実際に、パウロはフィリポにカイサリアで会っています。福音は学校ではなく足で伝えられたのです。「見よ、良い知らせを伝え、平和を告げる者の足は山の上を行く。」(ナホム書2:1)

[1]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、112頁

[2] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、134頁

[3] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、320頁

[4] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、670頁

[5]  前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、113頁

[6] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、163頁

[7] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、164頁

[8] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、135頁

[9] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、114頁

[10] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、166頁

[11] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、190頁

[12] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、88頁

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