印西インターネット教会の目的は、制度的な教会とは違って、制度の維持ではなく、福音そのものの内容を多くの人に伝えることです。日本のプロテスタント教会は、少数の信徒で牧師を支えようとしています。これは、まだヨチヨチ歩きの幼児に筋トレをさせるようなムゴイものです。ですから、救いを求めて教会にいくと、教会維持のための会計報告などが重要な話題になっていて失望することがあります。現代の教会制度では、ある程度お金があって、時間の余裕があって、健康でなければ教会員になる事は難しいでしょう。長い期間、牧師をしてきたわたし自身がそう思っています。これは残念な事です。コロナで財産を失い、いくつものアルバイトをかけもちしてやっと家計を支え、持病に苦しんでいる人は、実は、教会に行く資格がないのです。初代教会は違いました。金銭に困っている人には、裕福な人が支援を与えました。病気の人には癒しの働きが行われました。勿論、わたしにはそこまではできません。しかし、知っている限りのキリスト教の福音を伝える事だけは出来ます。そして、福音を知って人生に光が見えた人が祝福された人生を歩むことができるように祈ることはできます。最近、わたしが啓示をうけていることは、複雑なキリスト教神学を、もっと分かりやすい理論として簡素化し、多くの人に理解してもらうことです。日本の仏教も、もとをただせば複雑な教理をもっていますが、日蓮などは、それを南妙法蓮華経という一句にまとめ上げました。キリスト教も、アーメンハレルヤ、でいいかもしれません。あるいは、ハレルヤアーメンでしょうか。今後の研究課題です。