初代教会の伝道方法は、言葉の羅列ではなく、事実の提示だった!
使徒言行録11章1節-18節 文責 中川俊介
さて、カイサリアのコルネリウスの家で起こった出来事は、いちはやくエルサレムやその他のイスラエル南部の地域に伝えられました。「一世紀の事ではあっても、人のうわさは早く伝わるものである。」[1] 異邦人に対する伝道はそれまでに皆無だったわけではありません。イエス様も辺境の地にまで伝道された際に、異邦人を導いてはいます。ただ、それは個人的な出会いによるもので、今回のようにペトロが説教をした結果、多くの者が聖霊を受け、イエス・キリストの福音を受け入れたことは初めてだったと思います。では、この変化は多くの者から歓迎されたのでしょうか。2節を見ますと、エルサレムにいた指導者たちはペトロを非難したと書いてあります。これは単に悪いことだったとは言えないでしょう。「たといペテロに非難が浴びせられても、疑問やつまずきは自由に表現された。」[2] 教会には表現の自由があったのです。また、説明の自由もあったと言えます。ただ、人間というものは、なかなか変わりにくいものだとわかります。ユダヤ人なら、どうしてもユダヤ教の伝統的な考えに縛られてしまいます。日本人ならやはり、信仰にも日本人の物の考え方が影響すると思いますが、その点を皆で考えてみましょう。
ペトロを非難した人々が一番問題にした点は、教義などの高度な問題やペトロが説教した問題でもなく、彼が異邦人の家に行き、割礼のない人々と一緒に食事したことでした。当時のユダヤ人にとっては、汚れの問題や律法の問題が含まれていたことは確かです。現代でも信心深いユダヤ人は律法を守り、安息日には料理もしませんし、文字を書くこともしません。自己満足と言えば確かにそういう面もありますが、聖書の規定を厳守することが信仰の表明であるのですから、これだけはどうすることもできないのでしょう。日本人にはそこまでに強い、社会規定はありませんが、しかし、救い主への信仰なしには、古来の風俗習慣や様々な差別を克服することは不可能に近いものです。また、わたしたちは生まれつきの遺伝的・生物学的な制約や防衛本能に支配されて生きていますが、それを変化されることは人間の力では不可能でしょう。
4節には、こうした批判に対するペトロの態度が明記されています。ペトロは古い価値観に立つ人々をまず受け止めました。ペトロ自身も、ヤッファで不思議な幻を見るまでは、ユダヤ教の律法と食物規定に縛られていたのです。イエス様は人類をすべての律法から解放し、拘束とか脅迫によってではなく、信仰によって生きるように導かれたのです。「この問題については、すでにイエスが明確な教訓を与えられたのであって、人を汚すものは食物ではなく、心より出る悪しき思いであること、すなわち食物の種類によって潔いものと汚れたものとの区別があるのではなく、すべての食物は潔いのであることを、イエスは弟子たちに語り給うた。」[3] 差別ではなく受容です。また、既に、噂などによって歪曲された情報が伝わっていたことでしょうから、ペトロは反対する者に対して、忍耐強く、秩序立てて説明したのです。それが5節以下の言葉です。先ず、この幻はペトロの祈りの時におこったものであり、彼が勝手に考え出した結論ではありませんでした。「ペテロは、このような非難にたいして、決して理論や、論理で説明しませんでした。彼がしたこと、それは事実の証明であります。」[4] そして幻は非常に具体的なものでした。四隅を吊られた大きな風呂敷のようなものが、律法で禁止された生き物を中に満載して天から降りてきたのです。そして、7節にあるように、神は「ペトロよ」と個人的に名前を呼んで呼びかけました。これは、サウロが復活のイエス・キリストにダマスコ途上で出会った時も同じでした。神は、預言者の場合にも同じでしたが、特定の個人を通して、そのご意志を啓示されます。神は、こともあろうに、ペトロに神によって禁じられた生き物を屠って食べなさいと命じたのです。これでは、今までモーセを通して与えられた神の律法と食物規定が無駄になってしまいます。神は何故そのような身勝手な命令をされるのでしょうか。食べるなと命じておいて、今度は食べなさいと命じたのです。わたしたちには勿論神の真意をはかることはできませんが、それは神の身勝手という事ではなく、神がヨブ記の場合のように、試練を与えて、神に対する服従心を見ているのではないでしょうか。神はユダヤ人を世界の救いのために選ばれたのです。そして、食物に関する律法は「神の選民を教育するためのものであったのです。」[5] 生活の原点である衣食住において、神への具体的な服従を訓練することです。試練もまた、服従を学ぶ学校です。
8節でペトロは言います。たとえ、神の命令だとしても、彼は素直に天よりの声に従うことが最初はできなかったのです。この部分は、聴衆の理解を得られたと思います。ここで、ペトロは、暗に、自分の願いは旧来の律法を守ることであり、自分から革新を求めたものではないということです。あくまでこれは、神の意志なのです。わたしたちもここで、神の意志が顕現されるときに、それが従来の考えと大きな違いをうみだすことの経験があったなら、それを話し合ってみましょう。
そうした、矛盾とも思える状況の中で、決定的な言葉となったのは、9節の「神が清めたものを清くないなどと言ってはならない」という命令でした。天から降りてきた生き物は、汚れたものではなく、既に清められたものだったのです。わたしたちには判断できないことです。わたしたちは外見しか見ることができないからです。簡単に言えば、既に聖化されたものを罪深いものだと言ってはいけないという事です。これは、律法と食物規定だけではなく、ユダヤ人と異邦人との関係、ひいては聖徒と罪人との関係にまで言及するものであり、福音の核心を形成するものです。また、パウロの宣教においての中心課題も同じですが、律法の要求はイエス・キリストの贖いの福音によって完全に満たされたのです。ただ、現代においても隠れた律法、規則、価値観等が人々の争いのもととなっていることは確かです。そんなわたしたちに、天からの声はやはり同じように、「神が清めたものを清くないなどと言ってはならない」と命じているのではないでしょうか。人間と人間を隔てている様々な差別化の壁を神が取り除いて下さったのです。それは、まさに罪人を聖徒とする福音の働きだと言えるでしょう。
ペトロは、すぐに神の言葉に従ったわけではありません。この不思議な出来事は三度も続きました。日本でも三度目の正直といいますが、最初は納得できなかったペトロも神の忍耐強い説得に心を打たれたのです。「つまり神のなさっている事実の前に、ひれ伏しているのであります。」[6] 結局、この幻の中で、ペトロは禁じられた生き物を屠って食べることはしませんでした。しかし、まさにその時に異邦人コルネリウスの使いの者が到着したのです。幻は啓示の世界で、使いの到着は現実的な世界の出来事ですが、ここに接点が見られます。啓示の成就とも言えます。11節の事は、決して幻ではなく事実です。「そのことは、教理や理論ではない。そのことは、神の統治が具体的に現れた諸事実によって確かめられたのである。」[7] そして、12節にあるように、まだ躊躇するペトロを神の霊が導き、異邦人の家に行くことを命じました。異邦人と交わるなと命じたのも神でしたが、新しい啓示において、救い主の贖いの福音を受けた者には恐れるものや、拘束されるべき規定は何もなかったのです。そこで、ペトロは聴衆に対して、今ここにいる6人の信徒も彼と一緒にコルネリオの家にいったのだと証ししました。これは彼だけの出来事ではなく、信者の群れに示された神の啓示だったのです。10章の並行記事では、カイサリアに行った者の数は明記されていませんが、ここでははっきり6名と書いてあります。また、ペトロと共にエルサレムに上ったのもこれらの6名ですので、おそらく彼らはペトロと共に伝道の旅に出ていた者たちではないでしょうか。彼らもその出来事の目撃者でもありました。だから、ペトロがエルサレムの反対者に説明する時には大きな助けとなった人びとなのです。わたしたちも自分一人で伝道することはできません。たとえ啓示を受ける人は限られているとしても、神の驚くべき業を証しする者の存在は大切なことです。この点における現代の教会の群れの役割について話し合ってみましょう。
13節から、ペトロはコルネリウスのことに触れます。天使は彼にペトロを招くように命じたのです。ペトロに起こったこともコルネリウスに起こった事も、両方とも人間の意志ではなく神の導きでしかありません。そして、天使の言葉で重要なのは、「あなたと家族の者すべてを救う言葉」のことではないでしょうか。ペトロは単なる使徒ではなく、福音を異邦人に告げ救いをもたらす伝道者として立てられたのです。特に、14節の「家族」とは、「現代的な意味でのコルネリウスの家族だけを示すのではなく、彼の家で仕えている者たちすべて、つまり、奴隷や給仕そして他の者を含んだのである。」[8] ここで、言葉が人を救うと書いてあるのは、まさに真理です。「それはこの事件が、イエス・キリストの福音の本質と、キリストの福音宣教史上の根本問題を最もよく解明するものだからである。」[9] 福音のよき知らせを世界中に知らせる出発点がここにあったのです。この後、ペトロが福音を語り始めると、聖霊が降りました。そしてペトロはそのとき、16節で、主イエスの言葉を思い出したと言います。「初代教会にとって、イエスの記憶は重要なことであった。」[10] そして、口伝伝承されたものは、後に記述されて福音書になっていったのです。この場合、水の洗礼だけではなく霊の洗礼が救いにとって重要だと気付いたのです。
使徒たちはイエス様の復活の後でも聖霊を受けるまでは迫害を恐れていましたが、聖霊を受けてかわりました。それは、エルサレムにいた使徒たちの共通の体験でした。ここでのペトロの論点は、神が異邦人をも公平に扱ってくださったのなら、わたしたちが神に逆らうことができるだろうかという事です。17節では、人間の思いではなく神の御心を第一とする姿勢がはっきりと感じられます。律法では汚れた者、除外された者と考えられていた異邦人を、神ご自身がキリストの贖罪によって清めた者として扱ってくださるのなら、自分たちもそれに従うべきだというのです。信仰の従順とも言えます。
このペトロの言葉は決定的でした。旧約聖書のヨブ記の最後の部分で、ヨブが自分の無知を認め「わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」と述べているのと同じ思いを聴衆が持ったのでしょう。ユダヤ教の律法がどうだとか、ペトロの行いが不適切だとかいう人間的な思惑がすべて消え、心の波は静まったのです。「疑いもなく使徒行伝の著者ルカは、異邦人に福音を伝えた最初の使徒がペテロであることを力説しているのである。」[11] ルカは使徒言行録の後半でパウロの活動を描写しますが、ルカの思いの中ではペトロもパウロも同等に福音の宣教者として神が立てた者であることを証しているのです。
人々は、ここで初めて神が異邦人をも悔い改めに導き、新しい命を与えられたと理解できました。それはわたしたちの行いの結果ではなく、罪ある者を受け入れてくださる愛の神の赦しを受け入れることであり、迎えてくれる父親の胸元に飛び込むことでもあります。こうして反対者も賛成者に変わったのです。それも神の恵みでした。集まった人びとの群れには批判ではなく、賛美が溢れるようになったのです。「ただ、それによってエルサレム教会が熱心な異邦人伝道に熱心に参与することになったと推測すべきではない。」[12] やがて、エルサレム教会はその重要性を失っていきました。神は違った場所で、違った人々を用いて、全人類の救いのための新しい福音の時をもたらしたのです。
[1] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、112頁
[2] シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、147頁
[3] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、705頁
[4] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、168頁
[5] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980年、409頁
[6] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、169頁
[7] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、148頁
[8] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、235頁
[9] 前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、702頁
[10] 前掲、P.ワラスケイ、「使徒言行録」、112頁
[11] 前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、704頁
[12] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、198頁