閑話休題

日本のキリスト教の問題点2

海外にはメガチャーチと呼ばれる巨大教会があります。そのいくつかに行ったことがありますが、聖書の言葉による伝道だけでなく、音楽やお笑いの要素まであります。それだけでなく、多くの信仰者が集まると、そこには不思議な熱気が感じられるものです。伝道とは全く関係ありませんが、剪定した木の枝を焼却するときにも同じことを感じます。薪と違って伐採した木の枝には隙間が多くありますから、これに火をつけても、小枝が少し燃えるだけで、大枝はそのまま残ってしまいます。これは日本のキリスト教会の礼拝に似ています。いつも変わらない少人数で集まって礼拝しても、そこにたまたま出席した来会者は、冷たい疎外感を感じるだけです。これでは伝道になりません。ところが、枝の焼却の場合も、着火剤を用意し、最初の火が強く燃えるように準備して燃やすと、炎はゴーゴーを音を立てて燃え、まるでロケットの噴射口のようになります。なぜだか分かるでしょうか。火力が強いと上昇気流が生み出され、あたりの空気が吸い込まれて上に上がっていくからです。これは、メガチャーチに似ています。初めて来た人も、教会の輪に吸収されやすいのです。第一に、疎外感がないことです。そこでは誰もが未知の人とでも言えるでしょう。第二に、人が多いと自分の好みに合ったグループを簡単に見つけることができるからです。その逆は日本の教会です。20歳の学生が初めて教会礼拝に出ても、礼拝後のお茶の会では、自分と同年齢の者は皆無であり、高齢の信徒が戦前の頃の話を懐かしそうにしていても、その輪に入っていくことは不可能です。その学生は二度と来ないでしょう。さらに、メガチャーチだと、教会でお金や会計の話が出てこないのです。たとえ、一人が一か月に千円の献金しても1万人の教会員がいる教会では1億2千万の年間予算ができます。しかし、実際はそうではないのです。メガチャーチになると、信徒の数が多いので、中には高額の献金ができる人もいて、1万人の教会員では、一か月に数億、年間では数十億の財政を持つことができるのです。ですから、その資金で、海外の難民を援助したり、福祉活動を推進したりすることもでき、教会員に人助けが出来た満足感を与えるのです。ところが、日本のキリスト教会の総会などに出席すると、次年度の資金が不足しているから、献金額を上げて欲しいというような議題が実に多くだされます。こんな教会に、コロナで仕事を失い、借金苦で自殺を考えている人が来たらどうでしょうか。さらなる協力を求められても、どうすることもできません。その人は再び教会に来ることはないでしょう。しかし、メガチャーチなら、資金援助や仕事の世話をしてくれる人もあるでしょう。さて、ここで大切なのは初代教会の事です。初代教会は現代のメガチャーチのように巨大なものではなく、迫害も受けていて運営は楽ではありませんでした。しかし、現代の日本のキリスト教とは全く違う状況が展開していたのです。それは、上昇気流です。木の太い枝も火力が強いとあっという間に燃え尽きます。初代教会には強い炎があったのです。それは聖霊の働きでした。聖書は聖霊降臨日のことをこう伝えています。「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。」(使徒言行録2章1節以下)ちなみに、風という意味のヘブライ語はルアーハであり、霊という意味もあります。初代教会は聖霊に燃え、困難を克服し、病気の人を癒し、貧しい人に衣食住を提供したのです。キリスト教が世界的宗教となったのは、日本のキリスト教が得意とする理屈ではなく、愛と喜びの実践があったからです。印西インターネット教会もメガチャーチを目指しています。例えば、日本全国に、いや世界中に、10万人のフォローアーがあったとします、そしてこの教会の伝道の趣旨に賛同してくださる方が、年間に1000円のクラウド献金をして下さるとします。すると、インターネット教会は年間に1億円の資金で、地方の小さな教会で子弟の教育費にも困っている牧師家庭を援助することができ、日本全体の伝道活動に火をともすことができるのです。我が家の4人の子供たちはそれぞれ成人して家庭をもっていますが、学齢の時に、ルーテル教会の無利子学資ローンにとても助けられました。最後に、日本のキリスト教の問題点は、火が弱すぎて、他教派の人々を助けようとする愛の心を持つ余裕がないことです。しかし、聖霊の働きを通して大きく燃え上がっていくことによって、これは解決するでしょう。

kaze

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