閑話休題

冬季オリンピック競技のものすごさ

久しぶりに千葉県でも積雪があったので、アラスカに住んでいた頃に使っていたクロスカントリー・スキーをもちだして、近くの公園で滑ってきました。もう長い間滑っていないので、小さなスロープでも転倒してしまいます。アラスカのアンカレッジに住んでいたころには、自分にとっての冬のスポーツはクロスカントリー・スキーでした。冬のアラスカは日中でもほとんど太陽がでませんので、クロスカントリー・スキーのコースがあるキンケイドパークには、一日中照明がついていました。このコースは森の中にあって起伏に富んだものでしたが、よくあんなコースを滑れたものだと、今日は改めて感慨にふけりました。それはそうと、現在は、北京の冬季オリンピックが開催中です。オリンピック競技の中でも、アルペンの部門に入る大回転(ジャイアント・スラローム)がスゴイのです。なにがスゴイかというと、そのコースの斜度です。このスゴサはテレで見ているなら、全く実感できません。わたしは学生の頃に北海道を旅行し、その途中で、札幌冬季オリンピックの回転競技の場所だった山に登ったことがあります。上から下を見下ろしたら、これをスキーで滑り降るのは人間業ではないなと思いました。まさに崖でした。大回転のコースの斜度は最大で50度を超え、トップスピードは160キロくらいだそうです。ある人が別のスキー場で斜度30度のコースに挑戦したら、生命の危険を感じた、と書いていました。ですから、斜度50度のスゴサとは、そこに行って実際に自分の眼で確かめてみないと分からないのです。これは、なんでもそうです。自分自身が体験してみないと分からないことが、この世の中にはまだまだたくさんあります。特に、危険なことについては、体験する機会が少ないので、わたしたちも油断しがちです。もし、斜度50度のコース上に立って、ここを滑りなさいと言われたら、絶対拒否するでしょう。それは、目の前に絶壁が見えるからです。むしろ、危険なのは、見えない危険です。その体験をしたのは、旧約聖書にあるロトです。ロトと家族は、風紀の乱れたソドムの町に住んでいました。信仰心が深かったロトは、神が町を滅ぼすから脱出するようにとの神のみ使いのお告げを聞きました。そして家族全員で避難を始めたのですが、また、後ろを振り向いてはいけないというお告げも聞いていました。しかし、ロトの妻は、町に残した家のことが心配になり、神のお告げに反して振り返ってしまいました。「主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。」(創世記19章24節以下)これも体験して見なければわからないことです。これは、火砕流だと思います。わたしがイスラエルに住んでいた時に、この記事の背景には火山活動があると感じました。実際に紅海からガリラヤ湖までは、巨大な地溝帯が続いていますし、ガリラヤ湖には間欠泉があったり、湖畔のティベリアには温泉があったりすることから、この一帯がもともとは火山活動によってできたことが推測されました。日本の火山の火砕流もスゴイものです。しかし、これも実際に体験して見なければ、大回転コースと同じように、その危険度は実感できないものなのです。そして、人生において、大回転の急斜度で生きのび、火砕流から生きのびたとしても、最後には、自らの死という最大危険が待ち受けているのです。わたしは、以前、教会学校でつかうために、小舟の中で楽しく遊び興じている人の姿のイラストを描いたことがあります。この小舟の中がその人の人生です。小舟は大きな川の中に浮かんでいて下流に流されていきます。しかし、ほとんどの人は知りません。その小舟の流れていく先には、斜度50度どころではなく、斜度90度のナイアガラの滝のような危険が待ち受けているのです。これを、死と言います。油断してはいけません。死の危険は避けることができません。しかし、この危険を実感すると、イエス・キリストの十字架と復活の意味が分かるのです。

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