単なる宗教書ではなく預言書としての働きをする聖書の特質
使徒言行録13章26節-51節 文責 中川俊介
アンティオキアでのパウロの説教は続きます。パウロはユダヤ教会堂に集まったユダヤ人信徒と異邦人の改宗者にイエス・キリストの福音を伝えました。「ユダヤ人たちは、毎週、礼拝のたびごとに、旧約聖書を読んでおりました。しかし彼らは、それを正しく理解してはいなかったのです。」[1] 26節にあるように、パウロは相手を非難するような言動は控えて、彼らの信仰心に訴えます。「イエスの死にかかわりのあったのはエルサレムのユダヤ人であって、外国にいるユダヤ人ではなかった。」[2] キリストの救いはまだ知らなくても、彼らは神を畏れる人々であり、偶像礼拝の誤りにおちこんでいる人びととは違いました。パウロは、抽象的に救いを語るのではなく、自分たちが救いの証し人だというのです。
そこで、パウロは自分たちと伝統的なユダヤ教の指導者たちとの考えの違いを27節で述べます。その内容は、指導者たちは聖書の預言の内容を知っているはずなのに、その成就であるイエス様を救い主として認めず、死罪としてしまったというのです。「パウロは、ただ聴衆のまなざしをしっかりとイエスの十字架に向けさせる以外、イエスを宣べ伝えることができない。」[3] ただ、その残念な出来事も、実は、預言書で救い主への迫害が起るという形で既に予告されていたというのです。聖書とは何であるかを熟知すべきものが、その実現について無理解だったわけです。それはパウロにとっても実感のこもった言葉だったでしょう。パウロ自身も聖書学者でありながら、キリスト教徒の迫害者だったからです。悪さえも善に変えると予告する聖書の預言の世界は深いものです。「そういう意味で使徒行伝の中心人物はペテロでもパウロでもなく、復活のキリストの御霊御自身であることを常に忘れてはならない。」[4] 29節でも、パウロは繰り返して、救い主に関する聖書の預言はすべて実際に起こったとしています。ここに預言の実現を中心とする聖書信仰があります。例えば、十字架にかけられる前に、イエス様の衣が裂かれ人々に分けられた(マタイ27:35)というのは、詩編22:19に、「わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く」と書かれている通りです。パウロは聖書学者でしたが、知識だけでなく神の現実を悟ったのです。わたしたちの聖書信仰について話し合ってみましょう。
その後、神がイエス様を復活させたとパウロは語りました。ここが福音の中心点でもあるわけです。ここにはいくつかの重要点があります。すべてのことは神がしてくださったのです。神中心の考えはユダヤ人にも理解できたでしょう。また、イエス様はイエスであって、そこには救い主とか、神の子という説明はついていません。ここではイエス様をことさらに重要視する表現はありません。教えが素晴らしかった、奇跡をおこなうことができたなどの表現もありません。ただ、イエスなのです。そして、イエス様はただよみがえったのではなく、死者の中から復活したのです。つまり、多くの死者の中で、初めて命によみがえったのです。ここには罪の結果としての死、そして死の克服としての復活が語られています。その後、パウロは31節以下で弟子たちに姿を現したことを述べます。それも一回ではなく何日にもわたって姿を現したのです。ですから、何人もの人々がイエス様の証人になったのです。つまり、このことは動かざる事実であるとパウロは言いたかったのでしょう。
そこで、パウロは福音をユダヤ人の先祖に語られた預言との関連で語ります。イエス様の復活は福音だという事です。偶然の蘇生だとか、奇跡ではなく、神の救いのご計画にのっとったものです。パウロや聴衆にとっていえば、聖書に書かれていることは、自分たちのための約束でした。遠い昔に、アブラハムやイサクなどの先祖に語られた言葉が成就する時が来たのです。ただ、33節では何故、詩編2編を引用したのでしょうか。これは、油注がれたもの、つまりメシアの預言です。それがユダヤ人のためだと言うのです。34節では復活に関する引用を行っています。これはイザヤ書55:3の引用で、そこには「魂に命を得よ」と書いてあって命に関するものだとわかります。しかし、それがどうして復活の証明になるのでしょうか。復活という事がダビデに対する契約だと言いたいのでしょう。それだけでは不十分なので、35節では詩編16:10を引用し、神の恵みに生きる者に「墓穴を見させず」命に至らせると強調します。
そこから、パウロの聖書解釈が読み取れます。彼がこの分野では当時の最高峰にいたことを表わす部分です。パウロによれば、36節にあるように、詩編で語ったダビデは死んで先祖の仲間に加えられ、そして命を得ることはなかった。それとは対照的に、ダビデの末裔がイエス様であり、ダビデと同じように朽ち果てることはなく、ダビデに関して語られた預言が成就したのです。「なぜなら、聖書は、ダビデに与えられた約束が真実で、確かで、変わらないと言っているからである。」[5]
38節から主題です。この救い主であるメシアの復活とは、38節にある「罪のゆるし」の中心点です。罪に苦しむ者が贖罪されることなのです。そこで、パウロ聴衆に知ってほしかったのは、人々がモーセの律法によっては義とされなかったということです。「義と認めるということは、罪と認めるというのと正反対の法律用語で、無罪という宣言を意味します。」[6] それが神の愛の神秘です。これは、後にルターも体験したことでした。「キリストにおける信者は、すべての事から完全に義とされている。」[7] この完全性が重要です。価なしにそうなっているのです。キリストへの信仰のみです。「イエスへの信仰を通してのみ、人は神との正しい関係に置かれるのである。」[8] わたしたちの時代ではどうでしょうか。さらに、39節では、「信じる者は義とされる」と述べていて、後のパウロの信仰義認説がここでは既に示されています。「義とされることによって、わたしたち信じる者たちには、ほんとうの自由が与えられたのです。」[9] この点について皆で話し合ってみましょう。(ガラテヤ5:13参照)
その後、パウロは恵みだけではなく、警告にも及びます。41節以下は、ハバクク書1:5が引用されます。「パウロによれば、ハバククはアンティオキアでの出来事をすでに預言したのである。」[10] そこには強い言葉で「それを告げられても、お前たちは信じまい」と書かれています。パウロの引用も、直訳すれば「もし誰かがあなたがたに告げても、それを決して信じない」となっています。それは神の警告であり、信じることによってのみ救われるのに、信じないように呪われてしまう可能性もあるのです。パウロの説教は「彼らを信仰か、不信仰かの決断の前に立たせることにある。」[11] だから自戒する必要があるのです。パウロは、こう言って聴衆にどう生きるべきかを問いかけたのです。わたしたちは良い決断ができるように聖霊の助けを祈る必要があります。「恩恵溢れる救いの福音の呈示と、これを聞く者の側における真剣な態度の決定を迫って、パウロはピシデアのアンテオキアの会堂における宣教の大演説を終わったのである。」[12] わたしたちはどのように説教を聞いているでしょうか。皆で話してみましょう。
ただ、この場合、42節にあるように人々は特に反発することもなく、次の安息日にも説教してくれるように依頼しました。彼らはまだ、福音宣教によって自分たちが信仰に立つのか否かの瀬戸際に立たされていることなどには無頓着でした。
43節にはその後の出来事が記録されています。多くのユダヤ人と異邦人の改宗者がパウロとバルナバについてきました。彼らはなお詳しく福音を説明しました。パウロはいつも人に神を仰がせ、神の恵みにとどまり続けるように勧めました。神から離れたということがアダムの罪ですから、その反対に、どんなことがあっても恵みにしがみつくことが大切です。自分の義を立てないことです。このパウロの呼びかけも福音です。わたしたちはいつも受身です。ある人々は、ここで熱心にとどまり続ける信仰の努力を働かせなくてはならないと言いますが、わたしたちに必要なのは、アーメンという応答だけです。わたしたちもこの点について自分の考えを話してみましょう。
さて、一週間が過ぎて次の安息日になりました。なんと、町の人々のほとんどが集まったというのです。一週間の間に口コミでパウロたちの事が伝えられたのです。今のように新聞やマスコミのない時代ですが、人々の関心は高かったのでしょう。現代でも、真に福音が伝えられる時にこうしたことも起こりうるでしょう。しかし、聖霊の働くところには悪魔も暗躍します。45節のユダヤ人の抵抗がそれです。彼らは福音が異邦人にも与えられていることを見て、自分たちより異邦人が先に恵まれているように感じて嫉妬したからでした。自分たちの選民意識が侮辱されたと感じたからでしょう。少数の時には異邦人の改宗者に対しても仲間意識を感じたのですが、パウロたちが自分たちを越えて伝道したのが我慢ならなかったのです。「先の者が後になる」という原理がわからなかったのです。つまり神の原理、人間の習慣や慣習を逆転させる力が理解できなかったのです。そのことを筆者のルカは伝えようとしているのでしょう。
しかし、こうした反対にはパウロたちは慣れていました。どこの都市でも、福音が伝えられるところには、アンチ福音の人々が現れたのです。それも既に聖書に預言されていたことでした。ですから、46節にあるように、彼らに語って、彼らが神の言葉を拒否したと宣言しました。そして、パウロたちはこのように心を頑なにしたユダヤ人を説得しようとはせず、彼らは永遠の命に値しない者となったと宣告し、異邦人伝道に方向転換しました。エルサレムで起こった事が、小アジアのアンティオキアでも起こったのです。47節の主からの指令は、イザヤ書49:6からの引用であり、「主の僕の使命」に関するものです。パウロは自身が、イエス様と同じように、「主の僕」として異邦人伝道に使命を受けたことを自覚したのです。おそらく、聖書の内容としてはここに大きな転回点がみられるのでしょう。
このパウロの言葉を聞いて、異邦人は神を賛美しました。そして、信じるように定めらえた人々は、信仰に入ったのです。信仰も個人の選択や好みではないことに注意しましょう。「信仰を造りだすのは神である。」[13] あくまでも受身であり能動態ではありません。
その結果、福音の知らせはアンティオキアを中心として広がっていきました。喜びと賛美の広がりでもありました。その一方で、この働きを妬み、憎しむ者も出ました。保守的なユダヤ人たちです。50節にあるように、議論では到底勝てない彼らは、貴婦人や町の有力者を扇動して権力を発動させ、パウロとバルナバに汚名を着せて町から追放したのです。処罰については詳しく書いてありませんが、なんらかの迫害があったことでしょう。その後、二人は町での働きにこだわることなく、イエス様が教えたように(マタイ10:14)、足の塵を払い落して次の場所に向かったのです。彼らの心には怒りやためらいはありませんでした。こうした迫害も預言されていたことだからです。「石で打たれる時や迫害の時にさえ聖霊があふれるばかりに下るのであります。」[14] 神の御心を行えば必ずそれに反対する勢力に出会うのです。それは自明のことでした。最後に52節にあるように、アンティオキアで弟子となった者たちは喜びと聖霊に満たされていたのです。神の霊のあるところに悪魔の働きを破る福音の宣教があります。
[1] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980年、491頁
[2] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、131頁
[3] シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、175頁
[4] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、749頁
[5] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、177頁
[6] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、497頁
[7] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、278頁
[8] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、228頁
[9] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、498頁
[10] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、133頁
[11] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、177頁
[12] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、756頁
[13] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、180頁
[14] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、203頁