「墓は小さくていい」と語った故野村克也監督
エジプトのピラミッドはファラオの大きな墓です。秦の始皇帝の墓も大きなものです。八王子には歴代天皇の御陵がありますが、決して小さくはありません。ところが、日本の野球ファンで知らない人はいないほどの有名人であった故野村監督は、「墓は小さくていい」と遺言したそうで、実際に、彼の墓はつつましい小さなものになっているそうです。一般的に、この世の人々が称賛したような有名人の墓は、立派なものです。しかし、故野村監督は、「オレなんて大した人間じゃない」というのが口癖だったそうです。彼の生涯を見ると、自分に意識の中心を持っていくのではなく、自分が育てていく選手への愛情や熱意が意識の中心だったように思えます。昔から、人間の価値はその人が煙になった時にわかる、と言われています。彼は、自分の偉大さを強調することなく、謙虚に人生を終えたのです。そして、周囲の人々への愛を残したのです。宗教の世界では、お釈迦様の墓は仏塔という形で世界中にありますし、回教のモハメッドの墓も巨大なものです。しかし、イエス・キリストの墓はありません。エルサレムに住んでいた時に、聖墳墓教会にも行ったことがありますが、あれはイエス・キリストの墓ではありません。イエス・キリストも神の愛を伝えましたが、犯罪者として処刑され、その遺体は遺棄されました。そして、弟子たちが復活を体験したということで、墓の意義は失われました。墓というのは、死者の記念碑に過ぎないからです。人が生物学的に死んでも、その生命力は愛という形で存続します。聖書には「神は愛である」と書かれていますので、愛のあるところには神も共存し、人間の手て作った飾りのような記念碑は必要ないのです。「墓は小さくていい」というのは、野村監督の最後の名言でしょう。