閑話休題

訪問者が1万人を越えました!

一昨年の5月30日に印西インターネット教会を開設してから、2年ほどになりますが、今日の統計情報を見ると訪問者が1万人を越えていました!とても嬉しいことです。前にも書きましたが、一般的な教会の礼拝出席者数は、日本では30名程度です。ですから、一年に50週の礼拝を通して福音を伝えたとしても、延べ1500人に過ぎず、底数は30人にすぎません。それが、日本で伝道が遅々として進まない原因の一つでしょう。しかし、パウロの時代は書簡を回覧し、現代ではインターネットを用いて、効果的にもっと多くの人々に福音を伝える事が出来ます。もしかしたら、わたしたちは伝統に縛られすぎて、対面の礼拝だけに伝道を限って来たのかも知れません。それだけでなく、対面礼拝を維持するためには、教会の建物が必要ですし、専門職の雇用を維持しなければなりません。このために、日本のように大部分が小規模な教会では、福音宣教よりも、教会の維持費や牧師の人件費のために予算の大部分が用いられることになります。その結果が最悪です。対面を強調するあまり、重い病気があって教会に行けない人、つまり福音を最も必要としている人は、教会に行けないことになるのです。他の点はどうでしょうか。コロナ禍で、仕事を失い家族も離散した人が教会に行っても、話題になるのは救済ではなく、教会の維持のための献金の事です。これでは、教会に初めて行った人でも、再び行くことはないでしょう。問題は、日本の教会が持つ構造的な問題であって、特に個人が悪いわけではありません。パウロの時代にも、貧しい人、病に苦しむ人、迫害を受けている人がたくさんいたはずですが、それでも伝道は進展していきました。病の人の所には信徒が尋ねて行って癒しの業を行ったわけです。貧しい人たちの為には、食物を分け与えたり、援助の献金をして支えました。そして、そうした行動の原動力となったのは、書簡によって伝えられた福音の言葉でした。それだけではなく、牧師に頼るだけではなく、一般の信徒が積極的に伝道したのです。パウロ自身も、牧師の人件費を信徒に負担させてはいけないという思いから、テント作りの仕事によって生活費を得たうえで伝道していると書いています。教会の建物や、牧師に価値があるわけではありません。人を生かす力のあるみ言葉が大切です。そして、このみ言葉はさまざまな方法で伝える事が出来るのです。この、印西インターネット教会の目的は、まだキリスト教というものを知らない日本の多くの人々に、福音がもたらす愛と自由を知ってほしいということです。訪問者が10万人になれば、日本の総人口の約1000人に一人に福音を届けることができたことになります。それができたら、きっと神様にも喜んでいただけることでしょう。

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