今週の説教

金持ち喧嘩せず、心の豊かな人も喧嘩せず

「腰を低くして」         マタイ3:13-17

今日のテーマは謙虚さということです。洗礼のヨハネは、イエス様が自分から洗礼を受けようとされたときに、その謙虚さに驚きました。罪なき救い主が何故、罪の悔い改めの洗礼を受けようとしたのか。そのとき、その意味をヨハネは十分にわかっていなかったかもしれません。勿論、イエス様は罪あるわたしたちに救いを与えるために、罪あるものと同じ低さに立って下さったわけです。少し前の部分でヨハネは、「わたしはその方の履物をお脱がせする値打もない」と語っています。マルコ福音書とルカ福音書では「履物のひもを解く値打もない」と書かれています。つまり、いと高き方が、とっても低い姿をとられたことを驚いたのです。

聖書には、イエス様の前にも謙虚だった人のことが載っています。その一人はエジプトから、その民を率いて脱出したモーセです。モーセというと十戒など、厳しいイメージがありますが、モーセは「地上のだれにもまさって謙虚であった」(民数記12:3)、と書かれています。それは柔和で、穏やかだったという意味です。民衆は絶えずモーセを非難しましたが、それをモーセは忍耐しました。謙虚と柔和、穏やかは聖書では同じ言葉が用いられています。イエス様は「柔和な人々は幸いである」(マタイ5:5)と教えましたが、同じ意味ですから、「謙虚な人々は幸いである」、言ってもいいでしょう。ヨハネの洗礼を受けたイエス様は、まさにその教え通りに、謙虚であり柔和であり、穏やかだったのです。モーセのほかに、聖書にある謙虚な人の例を挙げると、アブラハムの息子のイサクです。聖書では、アブラハムとかアブラハムの孫にあたるヤコブなどが目立ちがちで、イサクは注目されません。しかし、謙虚さからいうとイサクは際立っていたと思います。若いころ、父親のアブラハムがイサクを生贄として捧げようとしたときに、イサクはまったく無抵抗でした。「息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。アブラハムは、手を伸ばして刃物をとり、息子を屠ろうとした」(創世記22:9以下)、と書かれていますが、イサクは神の与えた試練を穏やかに受け止めたのです。そして、それは若いころだけではなかったのです。イスラエル南部のベエルシバという場所があります。7つの井戸という意味です。そこから、エジプトまでは砂漠が続きますので、井戸の大切さがわかります。この付近の井戸に関して、成人したイサクの謙虚と柔和、穏やかさが聖書に書かれています。せっかく掘った井戸が嫌がらせで埋められたり、略奪されたりしても、イサクは争わずに、何度も何度も新しい井戸を掘ったのです。まさに柔和でした。井戸掘りは大変だったと思います。わたしはイスラエルに住んでいた時に、シケムという町にあるヤコブの井戸に行ったことがあります。この井戸は岩盤をくりぬいて地下深くにある水脈に達しています。深さは23メートルともいわれています。30メートルとも聞いたこともあります。深いわけです。この深さを、地下をの岩をくりぬくのですから、イサクたちの苦労が感じられます。それに、井戸を掘っても水脈があるとは限らないので失敗も多かったと思います。最後の井戸の一つ前の井戸を「敵意」と命名していますから、イサクの苦労も伝わってきます。最後の井戸では争いが起こらなかったので、その井戸を「広い場所」(創世記26:22)と名付け、「主はわたしたちの繁栄のために広い場所をお与えになった」、と感謝を述べたのです。

洗礼のヨハネの前に現れたイエス様は、まさにモーセやイサクのように謙虚と柔和、穏やかさを備えていました。モーセやイサクは、イエス様の到来を予兆する神の与えたしるしであったとも考えられます。その証拠に、ヨハネの洗礼の時だけでなく、イエス様は伝道活動をとおして、腰が低く、謙虚であり柔和である僕の姿を保ちました。腰が低いと言えば、イエス様が僕のように弟子たちの足を洗って、「あなたがたも互いに同じようにしなさい」(ヨハネ13:14)、と教えました。教えが、具体的だったのです。

そうであるとすると、イエス様の洗礼の姿も、あなた方もおなじようにしなさい、という意味であると思っても良いでしょう。腰を低くして、洗礼を受け、神に従いなさい。困難があっても、何度も何度も苦労した井戸が埋められても、神が広い場所を与えて下さることを信じて掘り続けなさい。条件に左右されないのです。新約聖書でも、「召使たち、心からおそれ敬って主人に従いなさい。善良で寛大な主人にだけでなく、無慈悲な主人にもそうしなさい」(第一ペトロ2:18)、と書かれています。相手の条件や、おかれた環境に左右されないようにということです。

何年か前に89歳で亡くなったカトリックの修道女であり、作家であった渡辺和子さんが若くして大学の学長になり、悩みが多かった時に慰めをうけた詩があります。その詩は状況に係わらず、神様が植えて下さった場所で花を咲かせなさい、という内容だったそうです。実は、その困難な状況が、謙虚さ、柔和さ、穏やかさを学ぶ学校なのです。

宮沢賢治の「雨にも負けず」という詩があります。逆境にも負けずという意味でしょう。「欲はなく、決して怒らず、静かに笑っている」、ともあります。これには、モデルとなった謙虚な人はクリスチャンがいて、斎藤宗次郎という名前でした。斎藤宗次郎はお寺の子供でしたが、成長して小学校の先生をしていたころに内村鑑三先生の影響を受けてクリスチャンになりました。岩手県の花巻の田舎では相当迫害されました。石を投げられ、親から勘当され、先生の仕事もやめさせられました。家を壊され、ガラスを割られたこともありました。物は修理できますが、迫害もひどくなって、9歳の娘が「ヤソの子供」と馬鹿にされ、腹を蹴られて腹膜炎を起こして死んだのです。それでも、斎藤宗次郎さんは牛乳配達と新聞配達のアルバイトで一日40キロを歩いて家族を助けながら、キリストの愛を伝えたのです。まさに、「雨にも負けず、風にも負けず」でした。柔和で、腰の低い姿だったと思います。イエス様が弟子たちに教えたように生きたわけです。でくの坊と呼ばれました。40近くになって内村鑑三先生に招かれて東京に引っ越すことになった時に、誰も見送りには来ないと思っていた駅に、以外にも、町長さん、先生、生徒、僧侶や神主さん、村人たちが大勢集まり、斎藤宗次郎との別れを惜しんだそうです。その中に、若き日の、宮沢賢治がいたわけです。「欲はなく、決して怒らず、静かに笑っている」という腰の低い姿は、斎藤宗次郎さんが、イエス・キリストの姿から学んだものでした。ですから、ペトロも、「この方は、ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅かさず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました」(第一ペトロ2:22以下)、と書いているのです。

イエス様の洗礼のさいに天の門が開きました。日本語では「天が開いた」と書いてあるだけですが、原語では、十字架上のイエス様が息を引き取った際に神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けた、というのと同じ劇的な表現が用いられています。それは、聖霊のしるしであり、神の御心にかなったというしるしです。この聖霊の印は愛です。「愛は自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない」(第一コリント13:5以下)キリストの救いを知って、パウロも腰の低い人に生まれ変わりました。この神さまの愛を知ったら、もはや悪い事をしようとは思いません。それどころか、この愛を伝えたいと思います。それは、聖霊が下るという事です。それを最初に示して下さったのがイエス様でした。イエス様がわたしたちのような罪深く、弱く、貧しい人間と一緒に洗礼をお受けになったのは、神さまの愛が罪人と共にあることを示すためだったからです。

 

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