閑話休題

危険な観音像

バブル期に建造された全国の観音像が老朽化して倒壊の危険が生じ、付近の住民の不安をうみだしています。建設当初は多くの人々の称賛の的だったとしても、何しろ高さが100メートルを超えるものがあるのですから、地震などで倒壊したら半径100メートル圏内の人は被害を受ける可能性があるわけです。これは、時計の針に似ていて、どの方向に倒れるかはわからないので、それも不安の材料です。聖書の中では、イエス様の弟子たちがエルサレムの巨大な神殿を見て驚嘆したという実話が残されています。このエルサレムの神殿というのは、山の斜面に建造された30メートル以上の高さの巨大な土台の上に建てられたもので、高さは60メートルくらいあったようです。東側の壁面は黄金で覆われており、朝日が当たると目も開けられないくらいに眩く光ったそうです。人間というものは、観音像に限らず、こうした建造物をつくって権力を誇示したり、信仰心を奨励したりしがちなものです。ところが、イエス様の考えは違いました。「イエスが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が言った。『先生、ご覧ください。なんとすばらしい石、なんとすばらしい建物でしょう。』イエスは言われた。『これらの大きな建物を見ているのか。一つの石もここで崩されずに他の石の上に残されることはない。』」(マルコ福音書13章1節以下)現在の危険な観音像も、当初は弟子たちが称賛した神殿と同じでした。しかし、時代の流れのなかで、無に帰しました。私たちは、見えるものを重要視しすぎてはいけません。やがて去りゆくものだからです。大切なのは「愛、命、光」です。それらは永遠です。どんな神像も、これを封入することはできません。それはわたしたちの心の神殿に宿るものだからです。ある人の人生がどれほど巨大で、称賛の対象だったとしても、そこに「愛、命、光」がない限り、やがて壊れて忘れられる観音像に等しいのです。

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