閑話休題

2分でわかるキリスト教教理

原罪とはなにか キリスト教では罪は犯罪とは違います。この世で犯罪者は逮捕され、処罰されますが、キリスト教では「すべての人に罪がある」と教えられています。犯罪者の場合には、この罪が顕著になったにすぎません。ですから、すべての人には、犯罪者になる可能性が秘められているということです。多くの人は、殺人や窃盗、詐欺などを行っていませんが、原罪があるかぎり、何かのきっかけがあれば犯罪者にもならないとはかぎりません。聖書では、殺意の前に怒りがあると教えられていますし、外面的に怒らない人であっても、心の中で憤怒の思いを持てば、怒ったのとおなじだということです。それも原罪の結果です。象徴的な寓話ですが、人類の祖先であるアダム(ヘブライ語で土という意味)やイヴはエデンの園で神と共に暮らしていました。そこで、神の禁止した木の実を食べてしまい、神のもとを離れて暮らすはめになりました。ですから、神の掟を破り、神から離されてしまったことが原罪として説明されているわけです。そして、聖書全体を通して読むと、神とは光であり、命であり、愛であると説明されています。ですから、原罪とは、光命愛の掟に背き、人間が光命愛から離されてしまったことなのです。多くの犯罪者も、その生い立ちを調べてみると、その幼少期にもっと光と命と愛が注がれていたら、それほど悪化しなかっただろうと思わされます。わたしたちにも原罪がありますし、わたしたちの親にも原罪がありますので、本当の救いがない限り、原罪は再生産されるのです。だから、「すべての人に罪がある」のです。そして、人生はこの罪のために悲惨で悲しいものとなりがちです。

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