副鼻腔炎
岸田首相が副鼻腔炎の手術を受けたそうです。わたしも子供のころ副鼻腔炎(蓄膿症)に悩まされました。結核の治療と、副鼻腔炎の治療で和光市の国立埼玉病院に通っていました。当時は、バスの便などがなかったので、家から徒歩で30分くらいかけて通いました。耳鼻科はかなり混んでいましたから、当時は耳や鼻の疾患が多かったのでしょう。自分の番が来ると、診察台のうえで小さな金属の受け皿を持たされ、医師が鼻の穴に管を差し込んで内部を洗浄します。間違って液体が気管支の方に入ってしまうと苦しかったです。鼻の穴は奥でつながっているので右から液体を注入すると、鼻の奥にある緑がかた膿が勢いよく出て、受け皿に排出されます。自分ながら、こんなに詰まっていたのだから大変だったと思ったものでした。施術のあと、家に帰る道のりは来た時と同じ道とは思えないくらいに爽やかでした。野の花や草木の匂いもかぐことができて嬉しかったです。大人になってからは、まったく治療しなくても鼻が詰まることはなくなりました。副鼻腔炎も完治したのだと思います。風邪などで鼻が詰まって、食物の味がしないことがありますが、臭覚というのはいろいろな面で生活に影響しているようです。副鼻腔炎だと集中力が続かないと言われたこともありました。なにしろ、図でみると、副鼻腔は頭蓋骨のなかにえぐられた空洞ですから、ここに膿がたまると精神にも影響をきたすことでしょう。それにしても、鼻を洗浄してもたっらあとのすがすがしさは、病気を経験していないとわからないでしょうね。聖書の中にも、病気が癒されたさまざまな例話が残されています。「そこで、イエスが二人の目に触り、『あなたがたの信じているとおりになるように』と言われると、二人は目が見えるようになった。」(マタイ福音書9章29節以下)そして、イエス様は、弟子たちの派遣に際しても、「行って、『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人をいやし、死人を生き返らせ、らい病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」と命じています。癒された人々の喜びは想像することができます。子供のころに、嗅げなかった香りに感動したのに似ている体験でしょう。こうした奇跡はだれにでも起こせるものではありませんが、困っている人の治療を助け、援助することは誰にでもできます。救い主イエス・キリストは、癒しの業をとおして、神の絶対愛を具体的に示し、弟子たちにも、具体的に人々を助けるように教えたのだと思います。全世界が、そんな社会になったら、どんなに爽やかな雰囲気になることでしょうか。それは、欲という膿に取り囲まれ、悩まされた人類の解放の時でしょう。外面的な副鼻腔炎の手術だけでなく、オリンピック汚職にみられるような金と権力にまみれた政治も浄化される日を望みたいものです。