閑話休題

クリスマス・コンサートの思い出

クリスマスが近づきました。街の商店はクリスマス・セールのために色とりどりの飾りで購買意欲を刺激しています。実は、教会の一年の活動の中で、クリスマスが一番忙しい時でもあります。クリスマス・ツリーの準備や教会堂周辺のイルミネーションの設置もあります。そして、特に忙しいのは、クリスマス・コンサートです。わたしが八王子教会の牧師をしていたころ、教会堂では手狭なので、市民会館を借りて有料クリスマス・ピアノコンサートを行ったこともあります。この企画も忙しいものでした。会館の予約、チケットのやポスターの依頼・校正・印刷・配布・販売などをまず行わねばなりません。そして、市内各地にチラシの配布やポスターの掲示を行います。出演者との連絡や打ち合わせもも必須です。これは、いわばイベント企画であって、教会の伝道とは関係ないものです。しかし、教会としては、クリスマスの行事は多くの人に教会を知っていただくための伝道活動でもあるのです。しかし、実情を見ると、伝道活動としての有効性に疑問がないわけでもありません。八王子教会の市民会館を借りてのクリスマス・コンサートは、イベントとしては成功したものの、活動の中で教会員の責任分担にかんして不和が生じ、教会を去った者もでました。つまり、金と時間と労力のわりには、ッ伝道活動としてはマイナスだったわけです。人を集めることが、伝道なのでしょうか。そうは思いません。でも、いまだに、日本の多くの教会は、人集めによって伝道しようとしているのではないでしょうか。この誤りは、初代教会の伝道活動を、聖書を通して学んでみればわかります。初代教会の人びとは、コンサートや宣伝活動をすることなしに、伝道を進めました。彼らの伝道は、隠れた形であり、静かなものでした。大声で讃美歌などを歌わなかったと思います。それでも、彼らの信仰は広がっていきました。なぜでしょうか。わたしが40年間の教会牧師の経験から思うことは、信徒の質が伝道と関係するのではないかと思います。例えばの話ですが、クリスマスコンサートで教会に好印象を持った人が10人ぐらい次の週の礼拝に出席したとします。彼らにとって教会は初めてですから、聖書のどこを開いたら良いのかわかりませんし、讃美歌の歌い方もわかりません。しかし、多くの教会では、新来会者をあたたかく迎える体制ができていないのです。みんなが自分のことで精いっぱいです。新来会者に話しかけてくる人も少ないでしょう。そんなわけで、初めて協会に来た人たちの多くは、少なからず、失望感をもって家路につくわけです。聖書の愛の教えと、教会を構成している人々の間に違いがあるからです。そうなってくると、これはむしろ、伝道ではなく、教会に対して偏見を持つ人を増やしているにすぎません。これは、単にわたしの独り言ではありません。統計がそれを示しています。わたしが学生のころには、日本の人口の中で、キリスト教信者が占める比率は1パーセントと言われていました。現在ではそれよりはるかに低くなっていると思います。ちなみに、現在の統計では日本福音ルーテル教会の会員数が2万2千人前後になっていますが、実際に礼拝にでたり教会活動をしている人は5千人前後ですから、少ないものです。ですから、今日の日本のキリスト教人口が総人口の0.8パーセントだという数字があっても、その中にはエホバの証人やモルモン教も含まれていますので、本当の数字は、その四分の一以下だと思います。つまり、キリスト教徒呼ばれてもいい数は全人口の0,2パーセントくらいだというのが妥当でしょう。残念なことですが、そういう結果となっているのは伝道方法の稚拙さに起因すると思わざるをえません。クリスマス・コンサートやほかのイベントが悪いわけではありません。ただ、救いを求めて教会に来た人々を受け止めるだけの信仰教育が不十分だと思うのです。ルターは500年前に、「全信徒祭司性」の重要性を訴え、信仰教育のために小教理問答書などもつくりました。これは、教会でも使用していますが、なにしろ500年前のものです。現在の社会に生きていくためには、ほとんど通用しません。例えば、コロナのようなパンデミックに対してどう考えるのか、臓器移植や遺伝子操作、AIなどの先端科学技術にどう対応するのか、いじめや教育問題、世界の紛争や政治にたいする意見はどうなのか、などに答えうる信仰の学びでなければ、信徒は信仰を成長させることができません。まして、「全信徒祭司性」は嫁のまた夢にすぎないでしょう。わたしが、アメリカの神学校で学んでいたころ、日曜日の礼拝に地元の教会に行くと、必ずと言っていいほど、「信徒セミナー」という会合がありました。あれは、今考えると、信徒の信仰成長を目指したものだったのでしょう。クリスマス・コンサートも一つの祝賀行事としてはよいものですが、伝道活動としては、一人一人の信仰成長が欠かせません。教会の衰退は、信仰の衰退のしるしです。そんなことを、クリスマス・コンサートの思い出を振り返って感じました。わたしが、月初めに伝道説教に行っている、菊川ルーテル教会でも、礼拝後に聖書の学びを行ったり、キリスト教書籍を廉価で販売し読んでいただいたりして、信仰の育成に努めています。そうした知識面だけでなく、浄土真宗の蓮如上人が行ったように、信者の小グループ座談会なども信仰強化に大切でしょう。現代の教会の形態では、日曜日に家を空けられない人、献金する経済的な余裕がない人、健康理由で外出できない人は、神の恵みを受けることが困難です。そこで、わたしは3年前に、日本伝道の一助として、印西インターネット教会を開設させていただきました。これは宗教団体の企画によるものではなく、わたし自身の個人的なインスピレーションによるものです。今は、ホーム・ページで福音のメッセージを伝えていますが、キリスト教は好きだけれども、上記の理由やその他のために、教会に行けない人にも、神の祝福をお届けしたいと願っています。日本中のいろいろな人が、いろいろな形で伝道できたら素晴らしですね。

 

 

 

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