何のために生き、何のために死ぬのか
「ヘアー」という70年代の映画を見ました。その台詞のなかに、Why do I live. Why do I die. という部分がありました。これは、人生における永遠の謎とも言えるでしょう。「ヘアー」にたいしてはピッピーの映画のような印象を持っていましたが、実際に見てみると、笑いもあるし、友情もあり、反戦の深い思いも伝わってくる映画でした。当時、ベトナムの戦場に向かった若者たちは、Why do I live. Why do I die. と考えたに違いありません。映画ができてから40年以上たった現在でも、コロナで仕事を失い、大切な家族を失い、人生の目的を失った時に、Why do I live. Why do I die.と考えざるを得ないでしょう。コロナがなかったら、そのような終焉的な疑問はもたなかったかもしれません。二千年前の迫害の時代を生きたパウロも、Why do I live. Why do I die.と考えていました。「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。」(ローマ信徒への手紙14章8節)キリスト教になじみのない方には、次のように書いた方が理解しやすいかもしれません。「わたしたちは、生きるとすれば神の愛のために生き、死ぬとすれば神の愛のために死ぬのです。」そして、それがパウロの実際の生涯でした。悔いのない生涯でした。その愛の生涯は、二千年たった今でも忘れられないで、語り継がれています。わたしたちが死んでも、その後に残るものは愛だけです。「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリント信徒への手紙13章13節)Why do I live. Why do I die. という疑問に対する答えを見出したパウロは幸せな人でした。