閑話休題

「何もかも失ったけど、ま、いいや」

フィンランド語の復習のために、フィンランドの映画監督アキ・カウリスマキの映画「過去を失った男」を見ていたら、主人公が寿司を食べ、日本酒を飲んでいる場面がありました。その時にながれていた日本語の曲が気になって調べてみたら、クレイジーケンバンドの曲でした。とってもユニークな曲を演奏している日本人のバンドです。特に気に入っているのは、彼らの曲の背景というか、思想性が心をひきつけるからです。彼らの曲の一つに「ま、いいや」という題名の歌があり、その歌詞の一部分に、「何もかも失ったけど、ま、いいや」というものがあります。皆さんはどう思いますか。不真面目で無責任な態度だと思いますか。それとも、人生を達観した態度でしょうか。人生をあまりにも真面目に考えているときには、「ケシカラン!」と思ってしまうでしょう。わたしも若いころにはそうでした。今はちがいます。「ま、いいや」という言葉が、なんとも福音的というか、慰めに満ちて聞こえてくるのです。失敗したけど、「ま、いいや」。失恋したけど、「ま、いいや」。預金が消えたけど、「ま、いいや」。皆から見捨てられたけど、「ま、いいや」。余命宣告を受けたけど、「ま、いいや」。誰でもいつかは死ぬことがハッキリしてるけど、「ま、いいや」。だって、神の絶対愛を知っているからね(笑)。パウロも言っています。「わたしは弱いときにこそ強いからです。」(第二コリント12章10節)イエス・キリストもイザヤ書を引用して言っています。「彼は傷ついた葦を折らず、くすぶる灯心を消さない。」(マタイ福音書12章20節)「何もかも失ったけど、ま、いいや」そんな生き方をしたいものですね。そして、最後に「十字架にかけられたけど、ま、いいや」

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