映画プラトーンにみるアメリカ文化の弱点
この映画はアカデミー賞もとっていて有名ですが、長編なのでこれまでは敬遠していました。このたび、ベトナム戦争のことを振り返って見ようと思ってレンタルDVDを見ました。それでいくつか驚いたことがあったので報告します。その第一は、映画のポスターに出て来る、両手を天に向けて掲げた負傷兵のことです。あれはエリアス軍曹だったのですね。この名前のエリアスは、旧約聖書の預言者エリアに由来しています。つまり、彼は善人の代表なのです。主人公チャーリー・シーンが送り込まれた部隊の中には、エリアス軍曹のほかに悪玉のバーンズ軍曹もいました。映画の構図としては、敵との戦いよりもむしろ、部隊内の善悪の葛藤が中心ともいえるものでした。戦闘シーンを期待した人には残念なことでしょう。ただ、ここで驚いたのは、底辺に流れる、アメリカ文化でした。それは、スーパーマンなどにもみられる、善悪の二極化でした。日本でも、水戸黄門シリーズなどに見られます。ヒットラーが意図的に作り出した社会的偏見も、善悪の二極化です。ここにおいては、善なるものが、悪の枢軸側を倒すのが良い事だという構図が生まれます。ベトナム戦争以後に、アメリカが湾岸戦争を起こし、アフガンを攻撃したのも同じ原理です。しかし、アメリカは以前にタリバンに武器提供したり、サダム・フセインを援助したこともあるわけです。プラトーンでは、善の代表格のエリアス軍曹が斃されますが、その後、バーンズ軍曹も滅びます。まさに勧善懲悪の世界が展開します。アメリカはこうした考えを、おそらく聖書から得たのだと思います。聖書には、神が悪を裁くと書いてあります。しかし、神学的に見ると、聖書の読み方が誤っているのです。ダビデ王にしても、アブラハムにしても、モーセにしても、その行動に非がないとは決して書いてありません。善人だとも言えないでしょう。聖書は善人を語りません。その点をよく知っていたのは、元キリスト教迫害者(殺人者)のパウロです。この世に善人は一人もいないのです。それなのに、善悪の二極論を展開することは誤りです。この誤りの結果は、自分を神の立場に置く傲慢となります。わたしたちも、自分を善人の立場に置き、他者を悪人として批判していないか、自省する必要がありますね。この自省の足りない点が、アメリカ文化の欠点です。傲慢国家になってしまったのです。またそれは、他の宗教国家、宗教団体、宗教者の欠点でもあります。わたし自身もこの辺を反省することが多いです。次に驚いた点は簡単です。この映画には、240件くらいのレヴューがでていましたが、その中に、実際の戦争体験者の意見は一つもなかったことです。彼らの年を考えれば仕方ないことですが、それでも、孫に見せてもらって意見をもべることぐらいはできるはずです。ちなみに、わたしの妻の父親は、日本軍が壊滅したインパール作戦の生き残りでした。義父がまだ生きていたら意見を聞いて見たかったと思いました。しかし、アメリカのサイトにはベトナム帰還兵の意見がのっているかもしれません。出ていたら次回に報告してみたいと思います。戦闘を経験したことのない者が、レヴューで戦争についてもっともらしく語るのは、とても滑稽でした。なぜそうかというと、これまで以前に読んだことのある、シベリア抑留記とか南方戦線従軍記などの筆者である人々の意見とは全く違うからです。