閑話休題

『恋する母たち』の女優・仲里依紗の、「型にハマらない生き方」

仲里依紗が小さな反乱を起こしています。「女優はこうあるべきだ」という社会通念への反乱です。わたしたちの固定化した日本社会でも、コロナの影響で、「社会人はこうあるべきだ」という社会通念が壊れつつあります。定刻に出勤していた社員も、今は遠隔で自由作業です。わたしが教えている大学の授業もZOOMを使った遠隔です。社会のさまざまな通過儀礼である儀式も、実行不可能です。勿論、とても残念なことです。結婚式もナイ。葬儀もナイ。成人式もナイ。卒業式もナイ。入学式・入社式もナイ。忘年会もナイ。歓送迎会もナイ。ナイナイナイのナイナイ尽くしで、心も痛みます。これは歴史上あまり例を見ないことです。あたりまえのことがナイのですから、社会通念にわざわざ反抗しなくても、社会自体が社会通念を実施できなくなっているのです。聖書を見ますと、そういう「型にハマらない生き方」をした人が色々と登場します。アブラハムもその一人でした。今から三千年以上前に、カルデアのウル(現在のイラク北部周辺)で生まれたアブラハムは、神の声を聞いて、まだ見ぬ約束の土地(イスラエル)を目指して親兄弟を離れて出発しました。彼の時代にも社会通念はあったと思います。しかし、彼は「型にハマらない生き方」をするように選んだのではなく、導かれたのです。彼が故郷を出たことで、後の世界の思想史は大きく変わることになりました。今回のコロナだって、後の世代の人々が考えれば、日本の通念を変えるキッカケとなったと言わなくもないでしょう。確かに、社会儀礼がない事は大きな喪失感を伴うものです。しかし、反面、社会儀礼が陰に強制する束縛からの解放という意味もあるのです。例えば、遠隔での仕事も、満員電車に揺られての長時間通勤から、会社員を解放します。わたしが比較的自由なアメリカ社会から、日本に帰った時、この満員電車が、アフリカからアメリカへ奴隷を満載して運んだ奴隷船に似ていると思ったことがあります。ただ、当時の日本では、こうした通勤形態に疑問をはさむ人は、ほとんどいなかったと思います。コロナは資本主義社会の奴隷船的輸送形態をも破壊しています。仲里依紗は父方の祖父がスウェーデン人だそうです。わたしがアメリカで世話になった人々も、スウェーデン系でした。彼らの考えは日本よりズット自由です。開放的だともいえます。つまり、社会通念に縛られない、個人としての生き方が確立されているのです。ちなみに、北欧三国の宗教的背景はルーテル教会です。たぶん、そんな外国の影響もあって、仲里依紗は自分らしさを追求しているのではないでしょうか。日本は、コロナの影響で、その出発点に立ちました。アブラハムは、なんと三千年以上も前に、「自分らしさ」への、長く試練に満ちた旅へと導かれたのです。そして、「型にハマらない生き方」は、アブラハムの子孫であるユダヤ人たちの常識です。ユダヤ人思想の研究家である前島誠氏がこう書いています。「仲間や親族を否定しろというのではない。土地や集団や家族が悪いから離れよというのでもない。その善し悪しは問題ではない。問題は周囲の状況にあるのではなく、本人自身の内面にあるのだ。自分を周囲から分離できない幼児性、無条件に自分を受け入れてくれる仲間への癒着、そうしたなれあいの姿勢から、ともかくも自分を解放してみよ、というのだ。この切り離しができて、はじめて人は一人になれるのである。」(前島誠著、「ユダヤ人最高の知恵」、三笠書房、30頁より引用)ユダヤ人は、歴史上、ナイナイ尽くしを経験してきました。だからこそ、それを越えて、人生を楽しむ知恵を持っているのです。そして、その「型にハマらない生き方」の知恵の源泉は聖書です。(聖書の理解に困難を覚える方は、遠慮せずに問い合わせのメールを出してください。自分にできる範囲でご説明いたします。)

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