アミメニシキヘビの再発見
横浜市戸塚区で逃げ出したアミメニシキヘビの捜索が打ち切られたと聞いて残念に思っていました。住民の方々はさぞかし不安な日々を過ごされていたのだろうかと推測されます。ところが、それが昨日に突然発見され、無事に捕獲されたのです。理由はなんだったのでしょうか。日本爬虫類両生類協会の白輪剛史理事長の適格な推測と捜査によるものです。蛇の捜索は、これまでは逃走したアパートの外で行われていました。ところが、まったく逃走の痕跡がない中、この理事長は、蛇がまだ同じアパート内に潜んでいるだろうと推測したのです。そして、まだ、朝夕の気温が低い今ごろの時期、温かい温度を求める蛇は、室内の暖められた空気がたまり、日中の日射のぬくもりが残る屋根裏にいるだろうとポイントを絞ったのです。案の定、蛇は屋根裏の骨組みに巻き付いていたところを安全に捕獲されたそうです。蛇の方も、きっと、ホッとしたことでしょう(笑)。やはり、専門家の見識はスゴイ(!)と改めて思いました。ポイントを見逃すことがないからです。人生も同じではないでしょうか。その分野分野で専門家の助言が役立ちます。聖書で登場する蛇のイメージは良いものではありません。それは創世記3章に詳しく書かれています。人類の祖先のアダムとイブが、エデンの園という楽園から追放されることになったのは、神の忠告を無視して知恵の木の実を食べてしまったのです。これが原罪と呼ばれている出来事です。その箇所には、「主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった」(創世記3章1節)と書かれています。つまり、最も賢い蛇が、まだ善悪を知らなかったアドムとイブを誘惑して、目を開いたのです。普通に考えれば、「いいことジャン!」となるわけです。しかし、彼らが続いて、エデンの園の中の永遠の命の木の実も食べることを恐れた神は、アダムとイブを楽園から追放し、人類の祖先は苦難の続く流浪の旅に出ることになってしまいます。この出来事の、ポイントは、知恵と命です、現代流に敷衍して考えれば、科学知識と生命の操作です。エデンの園の蛇は、聖書ではペットではなく、サタンであり悪魔の象徴です。悪魔というと、わたしたちには、空恐ろしい象徴に思えますが、聖書の定義によれば、人類に与えられた賢さが罪を生み出すことを示しています。そして、その賢さは、遺伝子操作や、生命操作に向かうのです。つまり、神の領域に足を踏み入れようとすることが原罪なのです。しかし、皮肉なことに、西洋の高等教育機関のシンボルには、よく蛇の像が用いられます。それは知識の頂点を示すからです。東洋では、老いた蛇である龍の紋章が、お寺で用いられる場合が多く見られます。それは悟りのシンボルだからです。こうして、人類と蛇とは切っても切れない関係に置かれています。昔の禅宗の教えでは、見失った牛の再発見は、悟りのシンボルであり、自己実現でもあります。今回、アミニシキヘビが再発見されたで、コロナなどの変異ウィルスを生み出す生命技術の危険性と、知恵を持つ人類の将来に思いをはせる事が出来ればよいのではないでしょうか。最後に、考えたいのは、原罪を持たずに生まれたイエス・キリストが人類にもたらした救いとは、罪の赦しと永遠の命だということです。原罪からの解放です。そして、命の木へのアクセスの許可です。結論的には、わたしたちが信仰によって神の似姿、神の子になるという預言なのです。知恵というのは、聖書が告げている通り、滅びと救いをあわせもつ両刃の剣です。