閑話休題

Blessing in a disguise(試練に形を変えた神の祝福)

西和彦というアスキーの創設者が、Blessing in a disguiseという言葉について書いています。西さんは、アスキーを創設する前には、ビル・ゲイツやポウル・アレンと共にマイクロソフト社のボードメンバーだったのですから、その能力は計り知れないものでしょう。そうしたエリートが、神について語ることも、日本ではあまり見られないものです。外国では違います。ビジネスで成功している者や、スポーツで特別な能力を発揮している者も、謙虚に神を信じている場合が少なくありません。皆さんのなかにも、今回のコロナ禍についてビル・ゲイツが書いたエッセイを読んだ方もおられるでしょう。それを読んだら、ビル・ゲイツもBlessing in a disguiseを信じていることが明らかです。世界の多くの人々は、コロナを悪の化身のように考えますが、ビルゲイツは見方が違います。コロナがもたらした試練によって、人生における最も大切なものが見えてきたと言うのです。わたしも同感です。一例をあげましょう。コロナのために、遠隔の仕事がふえました。満員電車で通勤せず、自宅で仕事ができます。実は、こうした出勤形式のオプションは西洋社会ではずっと以前からあったものです。家族を大切にする文化の中では、残業もなるべく避けられます。退社後の「おつきあい」もしません。ビル・ゲイツが書いているのは、コロナの影響で、本来は中心であるべき家族が中心になってきたというのです。そう考えることができるのも、Blessing in a disguiseだと言えるでしょう。アブラハムと甥のロトの場合も同じです。アブラハムは新天地で占有する土地を、ロトに先に選ばせました。「ロトはヨルダン川流域の低地一帯を選んで、東へ移っていった。」(創世記13章11節)つまり、ロトの選んだ地域は、川沿いの肥沃な土地だったのです。しかし、そこにはソドムとゴモラという悪徳の都市もありました。アブラハムは、自分が行った親切の故に、ソドムとゴモラの破滅には巻き込まれないですみました。貧乏くじをひいたことが、実は祝福だったのです。こう考えると、人生には、Blessing in a disguiseが実に多いことに気付かされます。

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