書評

ディーリア・オーエンズ著、「ザリガニの鳴くところ」、2020年、早川書房

これは、ノースカロライナの海岸地帯に広がる湿地帯を舞台とした、家族をめぐる事件を主題とした小説です。わたしも隣の州であるサウスカロライナには交換牧師の仕事で半年ほどすんだことがあるので、小説に出て来る情景描写にはとても共感できるものがありました。それに加えて、作者であるディーリア・オーエンズ女史は、作家であるよりは動物学者なので、海岸に面した湿地帯の生態系の描写が細やかでした。それだけでなく、実は、この小説の伏線となっているのは、生き物の世界の条理というものだったのです。あらすじを簡単に説明しましょう。漁師であった父親の家庭内暴力の結果、母親を始め、家族のものが突然家出した結果、幼い女の子のカイアは父親と共に海岸の湿地に建てられた小屋に残されました。その後、父親も家から消えて、カイヤは学校も行かず、文字も読めず、海岸で食べ物を探し、たった一人で原始人のような生活をして命を支えていきます。しかし、近くの村の人たちの助けてくれるゆになって、カイヤは美しい女性に成長しますが、自分に好意を持っていた男の子の海岸での事故死によって、殺人の嫌疑をかけられてしまいます。一方、カイヤが興味を持って収集し、分類していた海岸の動植物の標本や記事は、本として出版され、印税がはいるようになり、海岸の貝を集めて売って貧しく生計をたてていたカイアの生活は一変します。本の最後の方は、死んだチェイスの殺人容疑で起訴されたカイアの法廷闘争に関するものになっています。しかし、その前に、著者のディーリア・オーエンズ女史は登場人物にこう言わせています。「(野生動物も)緊急時には子どもを捨てるという遺伝子が次の世代にも引き継がれる。そのまた次の世代にもね。人間にも同じことがいえるわ。いまでは残酷に思える行動も、初期の人類が生き延びるうえでは重要だった。その人類がどんな沼地に住んでいようとね。」この言葉で、「ザリガニの鳴くところ」とは、人間が生存をかけて、あえて残酷とも思える決断をしなければならない時点があることを暗示しています。そして、物語の最後に、大きなどんでん返しがあって、読者は、動物学者である作者による、善悪を超越した興味深い人間観に触れるのです。このことで、想起したのは、新約聖書と旧約聖書の違いです。新約聖書には、動物界や自然界とは一線を画した人間の倫理の世界が読み取れます。しかし、旧約聖書はどうでしょうか。洪水を生き延びたノアはどうでしょうか。「あるとき、ノアはブドウ酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。」(創世記9章21節)そして、彼の裸を見て兄弟に告げた息子ハムの行為を怒り呪いを告げています。ソドムとゴモラの滅亡で妻を失いながらも、娘たちと生き延びたロトはどうだったでしょうか。「(姉は妹に言った。)わたしは夕べ父と寝ました。今晩も父にぶどう酒を飲ませて、あなたが行って父と床を共にし、父から子種をいただきましょう。」(創世記19章34節)また、ロトの叔父であるアブラハムはどうでしょうか。エジプトに滞在した際に、美人でアあった妻のサライのことで自分の命がねらわれることを心配し、「どうか、わたしの妹だ、と言ってください。そうすれば、わたしはあなたのゆえに幸いになり、あなたのおかげで命も助かるだろう。」(創世記12章13節)、と言い、エジプト王ファラオの側室として彼女を提供しています。彼らの共通点は、ザリガニの沼と同じです。生き延びるために、自分に不利になる事を避けているのです。旧約聖書では、神が創造者であり、被造物の人間は、他の動植物と同じように、「生き物の世界の条理」に従っています。そして、聖書の記者は、それを特に非難してはいないのです。小説「ザリガニの鳴くところ」を読了した時に感じる思いも、同じです。法廷や、裁判や、法律や倫理ができる前の、自然の世界があったという事に、改めて気づかされるのです。みなさんにもぜひ読んでいただきたい小説です。

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