聖書研究

使徒言行録にあるペトロの説教はニケア信条に影響を与えるほどのものだった

使徒言行録2章33節-47節   文責 中川俊介

ペトロは説教を通して、イエス様の復活を証ししました。「今ペテロが大胆に言うことができたのは、このような不信仰のやみを突き破って、上なる啓示にふれたからであります。」[1] それも、ペトロだけでなく弟子たち全員が復活を目撃したというのです。その次に、33節にはイエス様の昇天のことが語られています。昇天して神の右の座についたことによって聖霊が降臨したのです。これは詩編110:1からの引用です。ただ、「この句には隠された引用が詩編16:11にあり、神の右手における喜びのたくわえがあることが示されている。」[2] イエス様が神の右の座に着いたことが繰り返し強調されているのです。ここで、ペトロはダビデとの比較で話していますが、ダビデが神の座に着いたわけではありませんが、ダビデは預言の言葉によってイエス様の昇天とメシアとしての即位を予見していたというのです。ちなみにメシアとは、「ヘブライ語で注ぎだすことを意味しており、サムエルがダビデの頭の上に油を注ぎだしたことに関連する。」[3] イエス様も聖霊の注ぎについては既に語っておられました(マルコ12:36参照。)「イエスに起こったことによって、それは真実となったのである。」[4] これは大変に重要なことで、初代教会はこのことから使徒信条や二ケア信条の「天に上り、全能の父なる神の右に坐したまえり」という部分を生み出しています。ですから、ここでペトロは御言葉の成就ということの確かさを信仰告白したわけです。エフェソ書4:7以下でパウロは詩編68:19を引用し、キリストが神の座で受けたものが、わたしたちに与えられると述べています。ですから、イエス様が、キリストとして神の右の座に着いたことは、罪に沈む人類に、完全な恵みとして輝かしい神の栄光が分与される端緒となったという救いの福音を告げているのです。

36節以下でペトロは、奨励の部分に入ります。多くのユダヤ人に訴えることがあったのです。それは二つの点についてです。当時のエルサレムにいた人々がイエス様を、積極的にであれ、消極的にであれ、十字架につけた責任を負っているということです。第二に、無残な死を遂げたイエス様を、神は見捨てず、救い主として神の右にすわるものとしたのです。つまり、人が見捨てたものを神は尊んだのです。

この訴えは、聴衆であったユダヤ人にかなり深刻な打撃を与えました。彼らが思ってもみなかったことだったからです。それに。ペトロは、旧約聖書を引用しながら訴えたのですから、その影響力は計り知れないものだったでしょう。神の処罰を恐れ、あるいは自責の念にかられ、途方に暮れた彼らはペトロやほかの弟子たちに助言を願いました。「それに対するペトロの言葉はとても励ましに満ちたものでした。「信じがたいことであるが、今でも希望はあると、ペテロは彼らに語ったのです。」[5] そこで、38節で、ペトロが語った言葉は、ペトロもイエス様からよく聞いていた言葉であり、「悔い改めなさい」の一言でした。「自分を離れ、自分を捨てる、そこに新しい自分が生まれてきます。」[6] これが、悔い改めの意味です。それは、厳密にいえば、人間の能力や努力によって実現できるものではなく神の賜物といえるでしょう。「罪の赦しを得るために、この心の転回が必要であることは明らかであるが、驚くに値することは、ただそれだけでよいということである。」[7] だからこれは恵なのです。そして洗礼を受け、罪を赦していただくのです。それは、罪と呪いの底に沈む者を引き上げることです。イエス・キリストの洗礼とは、人生において、イエス様が救い主(キリスト)であり、ほかに救いの力はないと堅く信じることによるのです。その時に、神からの贈り物として聖霊を受けることができると約束されています。懺悔、洗礼、贖罪、聖霊の付与という流れです。「悔い改めのない生活は、結局のところ、自分の今までの生活を是認していることにほかなりません。」[8] ペトロは、その場にいた人々だけでなく、彼らの子孫にも、世界各地でも、例外なくこの神からの恵みが与えられることを約束しています。ただ、よく見るとこれは万人救済説ではありません。ペトロもそのことは自覚していて、どの世代にもどの場所でもこの約束は成就するのであるが、これは「神の招き」、憐れみと愛とを基本としているということです。本人がどんなに熱心でも、この約束は成就しないのです。こうした、神中心の考え方は聖書に一貫しています。デモクラシーではなく、テオクラシーと呼ばれることもあります。パウロも「人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か」(ローマ9:20)と説いています。わたしたちはこの点をどう考えるでしょうか。皆で話してみましょう。

40節を見ると、ペトロの証しが大変に力強かったことがわかります。「ガリラヤの漁夫上がりの彼にこのような演説ができようとは、誰が予期したであろうか。そのこと自体が聖霊の働きであり、イエスのキリストであることの証拠に数えられてよいのである。」[9] そのメッセージの中心は救いでした。この世の働きは悪であり、その悪から救われなさいと教えたのです。この世といえば、ペトロ自身も以前は、意志弱く、信仰を貫徹できない者でした。だからこそ、天よりの聖霊の働きの偉大さを彼は体験したのにちがいありません。自分が経験しない事を、これほど熱心に伝えることも不可能でしょう。この点から考えると、現代社会における伝道も、頭の中だけでの理解では人を説得することは無理だと思います。聖霊降臨以前の弟子たちはイエス様のみ名によって悪霊を退けたりしてはいましたが、説教したという記録はないように思います。

ペトロの説教を聞いた人々は、懺悔、洗礼、贖罪、聖霊の付与という流れを受け入れました。41節にあるように、多数の者が洗礼を受けたのです。ルカはその総数が約三千人だったと報告しています。あたかも、イエス様が数千人の人々を5つのパンと2匹の魚で満腹させた時のようです。その時は、物質的な満たしでしたが、今回は霊的に恵みを受けたのです。彼らは世界各地からきていたのですから、彼らの帰国によってキリスト教が広まることになります。新しく信徒となった人々は、第一に教えを大切にしました。つまり、使徒たちをとおして、イエス様の言葉が伝えられたのです。教えの弱い信仰は、自分から出発して自分に戻るものであり、試練や誘惑に弱いものです。自分を基本としているからです。使徒たちは、新しく信者になった者たちに、詳しく教えを説いたのです。「教理だけでは、救われませんが、教理なしには、強く、持続した信仰にはなりません。」[10] それも、聖霊の力によって語ったのですから、人の人生を変える力を持っていたと考えられます。「こうして使徒たちが多数の新しい弟子たちにむかってイエスのキリスト(救主)であり給うことを証する間に、イエスの言行録(ロギア)や、イエスがキリストであることを預言する旧約聖書の引用集(テステモニア)などの編纂がすすみ、更にマルコ伝その他の福音書の編纂が行われていったのであろう。」[11] 現代の教会の教理的理解はどのようでしょうか。皆で考えてみましょう。

また42節をみると、彼らは交わりを大切にしたようです。小グループが果たした役割は大きいものです。教会でもこれを大切にしたいものです。それは、共に愛餐することなどが含まれていたのでしょう。古代社会における交わりとは、共に食事をすることにほかなりません。それを、「パンを裂く」といったのでしょう。それはまた、聖餐式の意味もあるわけです。

そして、新しく加わった者も古くからの者も、皆が祈りに熱心でした。ユダヤ教には祈祷書があってそれを祈るのが彼らの習慣でしたが、ここで祈りに熱心だというのは、祈祷書を熱心に読んだというように理解することはできず、おそらく、イエス様に教えていただいたように、祈祷書の様式に縛られないで、自由祈祷を行っていたのではないでしょうか。教えを学び、祈る中で彼らは成長していったと思います。わたしたちも聖書を学び、大いに祈る必要があります。「論より証拠、この二つに力を入れる集会は信仰の力があふれる。これに反し交際と食事に中心を置くとき、教会は一種の社交機関にすぎないものとなり、信仰の生命を失うのである。」[12] それに、知的な理解だけでは聖書は十分に解釈できません。聖書は祈りから生まれた書物ですから、それを解釈するにも祈りが必要です。

学びと祈り、この二つがしっかり結びついたときに、信者の生活に新たな局面が展開しました。その第一は、畏敬の念です。学びと祈りによって、使徒たちもイエス様がなしたのと同じように、多くの奇跡をおこなうようになっていきました。人知を超えた現象が、人々を驚かせ、また、畏敬の念を抱かせたのです。神のご臨在が感じられたのです。それまで、神は遠い存在だったのです。しかし、イエス様の場合は違いました。神は、父であり、願いを聞きとどけてくださるアバであり、「おとうちゃん」であったのです。本当に身近な存在と言っていいでしょう。ある面では、これは大きな宗教改革でした。神と人との永遠の距離を廃棄したからです。そんなことは、イエス様を除いては、誰もできなかったことです。しかし、聖霊を受けた弟子たちは、まさに「イエス様と同じように」神を身近に感じ、超自然的な業を実施したのですから、人々が驚愕しある面では恐怖の念に取りつかれたともいえるでしょう。

信者の生活も一変しました。44節にあるように、彼らは財産を共有するということになったのです。原始共産制度ともいえるでしょう。財産を放棄したということは、無私の姿になったということです。日本でも雲水と言って、空に浮かぶ雲のように何も持たずに、旅に出る僧侶がいます。西洋では、修道院がやはり一種の共産制度です。初代教会の時代にも、エッセネ派のように財産を共有した人々がいたことは知られています。持たないことが、本当は一番持っていることであるのを知っている人はどれほどいるでしょうか。逆に言えば、永遠の宝を持っているからこそ朽ち果てるべきこの世の富に心を奪われないのです。ですから、彼らは持ち物を売り払い、それを現金にかえて分配してしまったのです。それを、彼らは懺悔、洗礼、贖罪、聖霊の付与という流れにおいて実現したのです。神の働きだとしか言いようのないことです。「財産の共有化は、聖霊の働きが特に強いときには維持できたが、この炎がやがて弱くなった時には、共同体を維持しようとする試みは深刻な問題に悩まされることとなった。」[13] ただ、これは人類の将来への道しるべと考えることができます。真の共同体の実現です。現代の教会はどうでしょうか。自分のものをしっかりと守っていて、あまりの部分を共有している団体でしょうか。皆で話し合ってみたいものです。

使徒たちの様子が46節以下に詳しく書かれています。「ルカは50年ほど前のことを振り返り教会の誕生の出来事を記録したのです。」[14] 彼らは財産だけではなく、心を一つにしていました。そして、毎日礼拝のために神殿に行っていました。そして、家が彼らの集会所でありました。彼らの生活に大きな喜びがあったことが記録されています。また、信仰の友が真の兄弟姉妹になったのです。現代でも教会では兄弟姉妹の称号を使うのはこのためです。また、彼らのこうした恵みに満ちた温かさにあふれた生活は、多くの人に救いの喜びを証することとなっていきました。最初の三千人だけでなく、さらに多くの人々が使徒たちの群れに加わっていったのです。喜びの連鎖が始まったのです。神への賛美と感謝に生きることが、わたしたちの人生の究極の方向性でしょう。エデンの園の時代に起こった悲しみと罪の連鎖が砕かれ、全く新しい神の祝福の喜びがさざ波のように伝わっていったのです。

[1] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、37頁

[2] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、78頁

[3] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、44頁

[4]  シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、30頁

[5] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、75頁

[6]  前掲、蓮見和男「使徒行伝」、39頁

[7] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、592頁

[8] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、85頁

[9] 前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、588頁

[10]  前掲、蓮見和男「使徒行伝」、45頁

[11] 前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、600頁

[12] 前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、601頁

[13] 前掲、F.ブルース「使徒言行録」、81頁

[14] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、48頁

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