いじめや迫害を恐れなかった初代教会の弟子たちと、その理由
使徒言行録3章11節-26節 文責 中川俊介
前回の記事にあった生まれつきの障害を癒された男は、ペトロとヨハネのもとを去ろうとしませんでした。彼が去ってしまえば、やがて忘れられてしまうものですが、そうしなかったので人々の注目を引くことになりました。神殿の外郭であるソロモンの回廊にいた使徒たちのところに、多くの人々が集まりました。「エルサレムでは、外庭の東の塀のところにあった回廊をソロモンの廊と呼んでいた。」[1] 回廊というのは神殿の全体の外郭をめぐる廊下のようなものですが、当時の第二神殿の時代には一部しか残っておらず、東側の部分が古の第一神殿の姿をとどめていたので、このように呼ばれていたのです。12節にあるように、人々が集まった機会をとらえ、癒された男を前にしてペトロは説教しました。第一にペトロが言いたかったことは、この奇跡が彼らの力によるものではないことです。また、彼らの信仰心によるものでもないと述べました。人を見てはいけないのです。これは現代の信仰者にも大切な視点です。わたしたちや隣人の信仰の多少が問題なのではなく、わたしたちを用いてくださる救い主の働きこそが重要なのです。
13節で、ペトロは神の属性について語ります。彼の信じる神は、抽象的な超越存在としての神ではないのです。人知を超えた神ではありますが、その神は、アブラハムを故郷から見知らぬ異国の地に導いた神、イサクを助けた神、そして波乱の人生を歩んだヤコブと共に歩んでくださった神なのです。「これは、長い間、ユダヤ人の間で尊重されてきた礼拝式文の用語である。」[2] 先祖の神は、何と恵み深い神なのでしょう。この神こそが、十字架にかけられたイエス様を復活させ、栄光を与えられたのです。この栄光があるから癒しが起こったのです。ここでイエス様は、ペテロによって、神の僕と呼ばれています。「僕という言葉は、奴隷という意味の僕ではなく、父なる神が『わたしの愛する子』と言っておられるような意味での実子とか、寵臣を表す言葉」[3]、だったのです。そのことはイザヤ書52章13節以下に詳しく書いてあります。そして、ピラトは釈放する意思を示していたのに、それを無視して処刑してしまったのです。神殺しの罪とも言えるでしょう。ペトロはそれを民衆に訴えました。14節では、イエス様のことを聖なる正しい方と呼んでいます。「このことを、初代教会の人々がメシアの称号としてもちいていたことがわかる。」[4]その最後までを見届けたペトロには、イエス様がどういう方であったかがはっきりわかりました。3年間の伝道の時には不十分にしかわからなかった、イエス様の本質が、今ペトロには理解できるようになったのです。わたしたちの場合にもきっと同じでしょう。わたしたちが信仰深いとか、熱心だとかという人間の側の条件には左右されずに、神がふさわしいときに、神の選んだ人物に真理を明らかに示されるのです。わたしたちは、この神の時をどのように受け止めているのでしょうか。皆で話し合ってみましょう。
イエス様は処刑されたのですが、代わりに殺人犯が釈放されたのでした。ある面では、これは、正しい人が正しくない人の身代わりとなって死ぬという、贖罪の教理そのものであったとも言えます。15節で、ペトロは再度、ユダヤ人たちを告発し、彼らこそが命の与え主であるイエス様を殺した人々なのだと言います。ただ、ここで客観的な立場に立つと、イエス様を裏切ってしまったペトロ自身はどうだったのでしょうか。彼は、自分のことはどのように考えていたのでしょうか。直接殺してはいないのですが、自分は十字架につけられることは避けて逃げたのです。
それはそれとして、神は、最悪の犯罪者として処刑されたイエス様を復活させてくださいました。それは決して抽象的な論理や、絵空事ではなく、事実でした。ペトロも他の使徒たちも自分で見て確信した事実でした。復活の事実が彼らを生まれ変わらせたともいえます。新しい考え方、そして新しい聖霊の力に満たされて、ペトロは自分たちこそ、この復活の事実の証人であると宣言したのです。以前のように、迫害を恐れたり、人々の批難や嫌疑を恐れるようすは、ペトロには全くありませんでした。証人であるということは、自分たちはこの復活の事実に命を懸けても惜しくないということです。イエス・キリストの復活により、聖書の救い主の預言が成就し、自分たちは、そのメシアの新しい時代の証人であるというのです。なんと偉大な証言でしょうか。
そこで、16節でペトロは癒された男の話題に戻ります。彼が癒されたのは、偶然ではなく、今しがた彼が述べた、栄光のメシアであるイエス様の名によるものだということです。その名に力があるのです。信仰も自分の努力ではなく、イエス様を通して与えられるものです。そして、その癒しは完全なものでした。ただ、現代の教会をみると、それほど多く奇跡が見られるわけではありません。「聖書が完結されるまでは、そうした奇跡は必要であったのですが、聖書が完結されると、そうしたしるしは必要がなくなってしまいました。」[5] 皆さんはどう思いますか。
先程は、ユダヤ人を告発していたペトロですが、17節では語調を変えてかれらに呼び掛けています。隋分と前のことですが「語調を変えて」という題の説教をどこかで見かけたことがあります。ユダヤ人を責めるだけではなく、彼らに「兄弟たち」と呼びかけ、彼らが本心にたちかえるように促しています。先程の死刑執行の件については、それは彼らが無知であったからだというのです。その線でみるならば、ペトロ自身の裏切りも、やはり無知であった結果だと言えなくはないでしょう。「聖書の人々は、失敗する人でした。決して、聖人、君子といった人ではありません。」[6] おそらく、こうした自分自身に対する反省も含めて、ペトロは人間の無知が、いかに愚かな行動に至らせるかを知らなければいけないと諭しているのでしょう。いや、聴衆者であったユダヤ人だけではありません。イエス様を裁いたユダヤ社会の指導者たちも同様に無知だったのです。わたしの印象では、無知であることは、ある面では本人にはどうしようもなかったことであり、情状酌量の余地がある対象であるという意見のように思われます。そして、無知の結果として生じた過失の責めは、イエス様が負ってくださったのです。「神殺し」というような過失さえも赦される、無条件の神の愛を通して、信じることができるという恵みをいただくのです。ペトロはそのことを自覚したのでしょう。
18節になると、さらに語調がかわり、実は、イエス様のように正しく無実な方を処刑したのは、ユダヤ人たちであったのは間違いないことですが、それにもかかわらず、実はメシアの受難は聖書に予告されていたことであるというのです。神の御心どおりであるというのです。十字架とは神のご意志の実現にほかなりません。「このペトロの説教のなかに、初代教会のキリスト観があらわされている。」[7] それは、非常にユダヤ的なものであったと言えます。ユダヤ人であるならば誰でも知っているメシアの預言が現実のものとなったのです。
メシアが到来したならばなおさらのこと、殺害の罪だけではなく、本来的な罪のために悔い改めるべき時が来たことになります。ペトロの理解によれば、悔い改めることによってこの罪は拭い取られるのです。また、悔い改めて神のもとに立ち返らなければなりません。自分の立場を擁護し、古い立場にこだわってはいけないのです。神のもとに帰ることが大切です。「ここでは明確に述べられてはいないが、もしユダヤ人が聞こうとしないならば、福音の祝福は、他のところへ与えられるということが暗に示されているだろう。」[8] もう、ここでペトロは怒りや告発の言葉を投げかけてはいません。自分の肉親に語るかのように、人々が本当の神のもとに帰ることを求めたのです。それは、20節にあるように慰めの時の到来を意味しました。
すでにイエス様の復活と昇天を目撃したペトロは、21節でイエス様が世の終わりのときまで、神の右の座に着いておられることを説明しています。「最初の宣教がイエスの復活の証明に主力を置いたのに対し、今度の演説では復活からすすんで、イエスの再臨に説き及んでいる。」[9] 必ず、万物が新しくなるというのも聖書の中心的な預言です。現在のわたしたちの時代は、罪によって汚れた時代であり、それはやがて滅び去り、神が再創造してくださるのです。これは、神を信じない者には恐ろしい破滅の時です。神を信じる者には救いの時であり、万物更新の時でもあります。ペトロはそれを言いたかったのです。人間の死も同じではないでしょうか。ペトロがそのような発言をした背景として、記者であるルカをはじめ初代教会の神学的理解が黙示録の世界に及ぶまでに既に発達していることを驚く学者もいます。神はあらかじめ定めた時に必要な理解を与えてくださるということでしょう。
次に、ペトロはモーセの言葉(申命記18:15-19)を引用します。預言者に聞き従えということです。その点において、イエス様は預言者モーセの後継者としての役割ももっています。それだけではなく、もし、それに従わないなら、滅ぼされるという警告もついています。裁きとは祝福を失うということです。エサウとヤコブの祝福をめぐる故事にもあることです。わたしたちは福音を大切にしますが、神からの警告を軽視するならば、福音もいつのまにか安価な福音に変質してしまうでしょう。この点を皆さんはどう考えるでしょうか。話し合ってみましょう。
24節で、ペトロはさらに他の預言者の言葉にも言及し、今の時代は、過去のすべての預言が成就した新しい時代なのだと強調します。イエス様が聖書の預言どおり、世の罪の贖いとなって十字架にかけられ、神の力によって復活してからすべてが変わったのです。預言者たちが前もって告げていた通りの事態になったのです。
先程は、ユダヤ人たちに「兄弟たち」と呼びかけていたペトロは、25節では、さらに語調を変え、「預言者の子孫たち」という敬意に満ちた表現を用いています。ここで読み取れることは、ペトロがいかに人々の頑なな心を変え、信仰心を呼び起こそうとしているかということです。「キリストの福音のあたたかさが感覚的に感じられる思いさえするのである。」[10] ユダヤ人たちは、呪いの子ではなく約束の子なのですから、祝福をこそ受け継ぐ者なのです。しかし、そのようにはならず祝福は、一時的に異邦人のほうに移ったことをルカは意識しています。ですから信仰によって、わたしたちもアブラハムの末裔とされ、この祝福を継承することになったのです。この祝福とは何でしょうか。「イエスを通してのアブラハムの契約によって与えられる祝福とは、人を罪の道から離れさせ、メシアに結びつく多くの霊的賜物を受ける準備を可能にさせるものである。」[11] 祝福によって、わたしたちは罪の力から解放され、恵みに満たされるというのが聖書の考え方です。それは、わたしたちだけの祝福ではなく、地上のすべての民族が祝福を受けるためです。わたしたちはその初穂なのです。
神の救いはすべての被造物に及びます。そのために、26節にあるように、神はイエス・キリストを初穂として立て、救いの道を開かれたのです。ペトロにはそのことがよくわかりました。神殿で障害者を癒すことができたのも、金銀以上に豊かな神の恵みを受けたのも、この主イエス・キリストの救いの時が到来したからなのです。ペトロはそれを証し、多くの人に救い主を信じる信仰に立ってもらい、共に祝福を分かち合いたかったのです。わたしたちの教会活動の原点もやはり、祝福の共有にあるように思われます。受けたものを分け合うことが大切です。地上の教会はまさにそのために設立されたのです。
[1] シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、45頁
[2] F.ブルース「使徒言行録」、エルドマンズ、1954年、87頁
[3] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、116頁
[4] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、91頁
[5] 尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980、118頁
[6] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、55頁
[7] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、53頁
[8] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、89頁
[9] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、609頁
[10] 前掲、矢内原忠雄、「聖書講義1」、610頁
[11] 前掲、L.マーシャル「使徒言行録」、96頁