キリスト教の根幹である「啓示」について学ぶ説教
「神は語る」 マタイ4:12-17
イエス様はヨハネに洗礼を受けたのですが、そのヨハネがヘロデ・アンテパス王に捕えられたと聞いて、南のユダ地方から、北のガリラヤ地方に移りました。イエス様もその3年後には捕えられて十字架にかけられたのですが。この時は、ガリラヤに行きました。つまり、神の時が来ていなかったのです。このような記事を読みますと、私たちは、何かイエス様がへロデ王を恐れて、逃げ隠れてしまったかのように感じてしまいます。実はそうではありません。ヨハネ7:6を読みますと、イエス様がガリラヤにいたとき、兄弟たちからエルサレムで大きな業を示したらいいと言われたとき、「わたしの時はまだ来ていない」と語っています。イエス様の意識にとって、行くのも退くのも、神の時なのです。ですから、ここで用いられた時という用語には、わたしたちがよく使う人間的な時間用のクロノスではなく、神の時間のカイロスという言葉が使われています。クロノスはギリシア神話の神の名前です。彼は王権を奪われるのを恐れて、自分の6人の子供を飲み込んだ父親です。つまり時が人を飲み込む象徴だったのです。古代ギリシア人の思想を知る事が出来ます。そこにおいては、人間は時の奴隷であり犠牲者です。しかし、イエス様は違った考えをもっていました。神のカイロスを知っていたのです。イエス様が処刑の場所であったゴルゴダの丘に連れていかれるときも、その後に天に引き上げられるときにも、神の時に従っていたと思われます。わたしたちも、もっともっと神の時を知ることが大切ではないでしょうか。
さて、イエス様は、この神の時に従って、ガリラヤに行きました。そして故郷のナザレにも行ったのですが、そこには住まず、もっとガリラヤ湖の近くのカファルナウムに住みました。カファルナウムという町は、エジプトからシリアを結ぶ重要な道路の通っている交通の要所だったそうです。今では、ブーゲンビリアの花咲く静かな田舎町です。ここで将来の伝道を担っていく弟子たちとの出会いがあったのです。ナザレにいたら昔の仲間と一緒であり、仕事も大工の仕事に戻っていたかもしれません。神の子、救い主という風に見られることがなかったのだろうと思います。そこでみ言葉を伝えても、受け入れられることがなかったのでしょう。しかし、イエス様はもとの形に戻ろうとしなかったのです。人間的に見たら、もとの生活様式に戻る方が簡単だったでしょう。しかし、人間には、神の導きによって、古里をでなくてはいけない時、古巣を離れる時、既成概念を捨てて新しく生きなくてはならないカイロスがあるのです。もしかしたら、それが、皆さんにとっての「今」かもしれません。なぜなら、神はわたしたち一人一人に、個人的に語られるからです。イエス様のカファルナウム行きは、まさにそれだと思います。
ここで、マタイ福音書記者の解説が挿入されています。つまり、宗教の中心地のエルサレムでなく、辺境のガリラヤに行ったというイエス様の出来事が、預言者イザヤの預言通りだったというのです。これはイザヤ9:1からの引用です。この御言葉はクリスマスの季節によく読まれる預言の言葉です。ところが、この言葉が、主イエス・キリストの宣教の初めを示しているわけです。
クリスマスの喜びは福音宣教の喜びでもあります。なぜなら、イザヤ書に神が深い喜びと大きな楽しみを与える(プレゼントする)、と書いてあるからです。また、その預言の内容をみますと、神を知らない異邦人が神の光を見るともいわれています。実はこの預言は紀元前732年にアッシリアがイスラエルを攻撃し、民衆が捕囚にされたときの神の言葉なのです。悲惨と、荒廃に沈む人々の上に、神の光が輝いたのです。その後もイスラエル北部のガリラヤ地方は北の国境近くにあったため、常に侵略されていました。雑婚もすすみ、宗教も乱れていたのです。
そこで、イエス様が伝道に向かったのは、純粋宗教のエルサレムでもなく、故郷のナザレでもなく、混乱のガリラヤでした。それは神様から愛されていないと思われていた土地でした。また神様から愛されていないと思われていた人々の住む場所でした。しかし、マタイ福音書の記者は、まさにこのことが、その約700年前にイザヤが預言したことの成就だとみたのです。
閑話休題。二千年近く前に書かれた新約聖書最後の巻である「ヨハネの黙示録」は将来の人類についてどのように預言しているでしょうか。「子羊が第四の封印を開いたとき、『出てこい』」という第四の生き物の声を、わたしは聞いた。そして見ていると、見よ、青白い馬が現れ、乗っている者の名は『死』といい、これに陰府が従っていた。彼らには、地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死をもって、更に地上の野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。」(ヨハネの黙示録6章7節以下)そして、これは、困難な終末の序曲にすぎないのです。現在のコロナ禍も、全地球的試練の始まりにすぎないのです。
さて、聖書が引用した700年前の預言がどんな意味を持つかといえば、現代の日本では親鸞や日蓮の活躍した時代の少し後です。ユダヤ人たちは700年たっても神の語りかけは変わることがないと信じていました。ですから、700年前の預言を単なる過去の記録とせず、預言の成就が来たと判断したマタイ福音書記者の信仰の深さに感銘を受けます。わたしたち人間の、近視眼的なものの見方を、はるかに超えています。それだけの時代を経ても、神からは、この悲しみ多い世に、深い喜びと大きな楽しみを与えるという強い語りかけががあるのです。このメッセージをわたしたちも今日、聞く必要があるのではないでしょうか。
その意味では、ヨハネの黙示録のメッセージを大切にしたいものです。以前のことですが、ある教会員の記念会用の式文を作成するために画材店に立ち寄ったら、ヨハネの黙示録の本が置いてありました。その中に、「黙示文学は受難の時代にかかれた希望の書です」と書いてありました。
受難の時代の希望の書。確かにそうです。恐ろしい試練や破壊を告げているだけではないのです。受難の中でこそ、真の希望があるのです。新約聖書ローマ書4:18に「アブラハムは希望を持てないようなときにも希望を持って、あなたの子孫はこのようになるという、神の語りかけを信じた」と書いてあるのも同じです。イエス様の弟子たちも、イエス様がカファルナウムに行かなかったなら、そのままずっと漁師の仕事を続けて、そのままずっとガリラヤ湖周辺に住んでいたことになります。ずっとイエス様のことも知らないで、救いのことも知らないで、一生を過ごしたでしょう。いくら健康でも、どんなに仕事に成功しても、主イエスと出会っていなければ、それは暗闇に住んでいるのとあまりかわりません。それだけではやっぱり最後は空しいだけの人生になってしまうでしょう。イエス様を知り、イエス様を愛する人生には光があります。
17節以下にはガリラヤに移ったイエス様の福音伝道のメッセージが述べられています。そこで注意すべき点は、悔い改めなさいを自分でできることのように解釈して受け取ってはいけないことです。人間には真の悔い改めは自分からはできません。神の国が近づいたこと、こちらが先であり、この神の国の助けで、その方向への方向転換(悔い改め)が生じるのです。簡単に言えば、あなたの近くにもうすでに神の愛が近くに来ていますよ、だから、それを無視して、これまでの自分の暗く悲しい道を進んでいくのは良くないですよ、ということです。神の愛は、わたしたちが立派な時ではなく、病を抱えて苦しむとき、失敗を繰り返し、恵みと導きを必要とするときに、その人の近くにあるのです。旧約聖書の日課であるアモス書には、神は預言者をとおして語ると、述べられています。イエス様が伝道した、神への方向転換、そして神の中に愛を見ていくという、福音の言葉も神からの語りかけです。
ルターも言っています。キリスト教会のただ一つの印は、み言葉を求め、それに従っていることである。その点では、印西インターネット教会も、建物はありませんし、儀式もありませんが、立派な教会ともなりうる存在だと思います。このことが失われたら、人々がいくら教会だ、教会だと威張ってみても、すべては空しいことです。そこには希望がありません。また、ルターは、み言葉を失い、み言葉を無視して有力な人間のみに目を向ける教会は教会ではないと言います。また、「愛さなければならない」という愛の律法化も人間の発案でおこります。しかし、旧約聖書の「コヘレトの言葉」には、愛するときがあってもいい、憎むときがあってもいいと書かれています。
ですから、むしろ、「神語る、我聞く」を大切にしたいものです。神が本当の愛を語り、わたしたちは、それを聞いて信じるだけでいいのです。それで十分です。神の言葉は私たちの全く思いもしないところから響いてくるのです。それを聞いて、ユダ地方からガリラヤに行ったのがイエス様でした。イエス様は神の語った言葉に従ったのです。また、神の言葉によればイエス様自身が光でした。だから、わたしたちは闇の中で打ち震えることなく、ありのままの姿で光に向って、イエス様に向かって向きを変えるようにイエス様が呼びかけています。神の言葉である「光あれ」というのが、究極の希望の言葉です。わたしたちは弱い、しかし強い。この神の語りかけをみ言葉を通して聞くからです。それだけに終わってはいけません。まだ闇なかで苦しんでいる人たちに対して、温かい心を持ち続け、福音を伝えていく責任があります。
人知ではとうてい計り知れない、神の平安があなたがたの心と思いを、イエス・キリストにあって守って下さるように。