捨てなければ生きられない自然の原理
2022/01/28
畑の境界線のところにある紫陽花の枝に春の新芽がたくさん出ていました。これをそのままにしておくと、枝が雑に交差して良い花が咲きません。枝を根元から剪定しました。古い枝から出た芽には勢いがありません。新しく株の根元から出た芽は大きくてよく成長し、美しい花を咲かせます。これを見て、古いものを惜しんで保存してはいけないのだなと感じました。仏教でも、断捨離を教えています。人間の生活でも、もう役に立たない古い習慣とか、悪い生活態度などを捨てて、新しい生き方をするのが自然の理にかなっていることです。生きることは捨てることではないでしょうか。聖書にも剪定のことが書かれています。「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。」(ヨハネ福音書15章1節以下)イエス様は、自然の原理を用いて、神の働きを教えました。わたしたちの人生で、捨てるものがあるとしたら、それは、実は、永遠の命という実を結ぶには不必要な枝の一部なのです。畑の別の地区では、何日もかかった50本の梅の木の剪定がまもなく終わります。梅の枝からは既にたくさんの花芽がでていて、これを切るのも可哀そうな気がします。しかし、密集させてたくさんの花が咲いても、良い実はなりません。枝が混んでいると、日照も悪いですし、病気や害虫にも犯されやすくなります。思い切って枝の断捨離をして、不要な枝を捨てると、スッキリして木も丈夫になり大きな実をつけます。植物も人間も自然の一部です。ですから、多くの共通点がありますね。そして、捨てる時は、「今です」、時期が遅れてしまうとかえって害となります。