印西インターネット教会

命を救う人生の三点確保

最近は、オリンピック競技などにボルダリングが入っている。わたしの若いころには、ロッククライミングが流行った。ボルダリングの場合には、万一の落下のために命綱をつけているので、かなりの無理もできる。しかし、自然の絶壁を登るロッククライミングでは、落下すれば命はない。自分では本格的にロッククライミングを立やったことはないが、登山が好きだったので基本は教わったことがある。それが、有名な三点確保だ。手や足のどこでもいいが、三点を確保して置いてから、一点となる手や足を動かして登る原理だ。これが今も、実に役に立っている。農地にある50本の梅の木の剪定もだいたい終わったが、高い木に三脚をかけて、ノコギリを使って枝を落とす作業には、危険がともなう。しかし、ここでも三点確保だ。たまに、足もとの枝が突然折れることがあるが、あと三点は確保してあるので、落下することはない。同じ枝に両足をのせておいたら、落下してしまう。そこで考えてみると、人生という山登りにも、三点確保は必要ではないだろうか。自分の人生の三点確保は、努力と家族と信仰だ。第一に、努力と言っても色々な面がある。精神的な努力だけではない。健康維持にも、適度な運動や食事管理、防疫などの努力が必要だ。いくら仕事や学問に努力しても、病気になってはそれを継続することができない。第二に、家族の重要性がある。人間は集団生活によって支えられている。その集団生活の最小単位が家族だ。家族なしに、自分の努力だけで何事かをなすことはできない。家族からの、忌憚のない意見や、利害を越えた支えが必要だ。そして、最も大切なのは、創造主である神の絶対愛に対する信仰である。イエス様が命を懸けて伝えたのもこの真理だった。これは知っていても、何の役にもたたない。それは知識にすぎない。信じることが必要だ。人生のロッククライミングには、病気や事故、会社の倒産、家族の離散などの危険が起こりうる。この世のものだけを頼りにしていたら、早晩、挫折してしまう。努力や、家族も、神の支えがあってこそ実現するものだ。この神の絶対愛への堅固な信仰があれば、どんなに峻険な岩場も恐れるに足りない。それは、わたし自身が経験してきたことでもあり、先人のクリスチャン達が証言している事でもある。一つの例をあげよう。発明家のトーマス・エジソンだ。彼は、わたしの少年時代のヒーローだった。自分で新聞を発行したり、列車に実験室をつくったり、その積極性が魅力だった。そして、誰も成功しなかった白熱電球を初めて実用化したのも彼だった。しかし、その頃は、エジソンが敬虔なクリスチャンだとは知らなかった。彼の努力の背後には、神への堅固な信仰があったわけだ。日本では、彼の名言として「天才は99パーセントの努力と1パーセントのひらめき」という言葉が伝わっているが、彼の英語の本文を見ると、これは「天才はいくら努力しても、1パーセントの神からの啓示がなくては成功できない」という意味だ。だから、電球試作の際も、何万回も失敗して多くの人から批判と嘲笑を受けても、「失敗のたびに、成功に近づいている」、と言うことができたのだ。そして、自分が巨額の資金を投入して建設したオレンジ研究所が火災で燃えた時も、自分の子供をつれて見に行って、花火のように爆発して燃える建物の夜景を遠くから指さして「こんなに美しい光景はなななかないから、よく見ておきなさい」、と言うことができたのだと思う。彼には、失望というものがなかった。失敗しても、失っても、神の絶対愛を信じて、再び努力していけば希望があることを知っていた。エジソンこそ、努力、家族、信仰の三点確保を実践したキリスト教の証人だったと思う。こうした生き方を、多くの人に知ってもらい、実践してほしいと願っている。それが印西インターネット教会の目的でもある。

モバイルバージョンを終了