閑話休題

王将戦、6四桂打ちが決定打で藤井竜王勝利

自分は囲碁はするが、将棋は駒の動かしかたくらいしかわからない。しかし、変化の多い囲碁より、各駒の働きが決まっている将棋の方が理解しやすい。今回の王将戦の棋譜を見ていたら、やはり、藤井竜王の桂馬の使い方がうまかった。障害物(敵の駒)があってもそれを飛び越えて相手を攻撃できる桂馬は、他の駒にはない独特な働きを持っている。藤井竜王はその辺を詳しく知って、桂馬を用いる技術が特別に優れている。だから、この6四桂打ちの後で、敵の王将は正確に計算された藤井竜王の網の中をジリジリと追い詰められていく。棋譜にそれがあらわれている。詰将棋になると、ほかの選択肢はない局面に、相手が追い込まれていく様子が伝わってきて興味深い。藤井竜王はまだ若く未成年であるが、将棋を通して哲学的な真理を極めたいと思っているそうだ。相手と同じ力量の駒を同じ数だけ所有して戦いを開始しても、やがて勝敗が決まってしまう。その原因は何なのか。今回の王将戦第3局では、藤井竜王が相手の王将を将棋盤のコーナーに追い詰めた時に、すでに決まったようなものだ。藤井竜王の頭の中では、その後のすべての動きが計算し尽くされていたと思う。つまり、これは太平洋戦争のような軍事力の大差による勝敗ではなく、計算勝ちだともいえる。聖書の中にも、計算勝ちの話が出て来る。ダビデ王がまだ若くて羊飼いだった頃の話である。そのころ、イスラエル軍は屈強なペリシテ軍と戦っていた。そして、軍の中のペリシテ人の巨人が単独でイスラエル軍に挑戦してきた。彼は背丈が3メートル近くあり、全身を青銅の鎧で武装しており、その重さは50キロだった。槍の穂先だけでも7キロぐらいだった。イスラエル軍の誰もが怯えてしまい、この挑戦に応じようとする者はいなかった。たまたまイスラエル陣営に食料を届けに来たダビデは、ゴリアテの挑発の言葉を聞いてサウル王に言った、「あの男のことで、だれも気を落としてはなりません。僕が行って、あのペリシテ人と戦いましょう。」(サムエル記上17章32節)体格からいえば、勿論、ゴリアテの方に100パーセント勝算があった。しかし、ダビデの方も、それまで羊を守るためにライオンやクマと戦った経験があった。ダビデの事を心配したサウル王は、自分の鎧で武装させようとしたが、ダビデは自分には向いていないので断った。ダビデは羊飼いの時の格好で、石投げ器と投石用の滑らかな石(たぶん固いチャート)5個をもって巨人に向かっていった。これは、一見すると無茶な挑戦のようだが、ダビデには勝算があったと思う。なにしろ、刀と刀、あるいは槍と槍で戦わなくてはいけないというルールはない。だから、ダビデは、自分が獰猛かつ俊敏な野獣と戦った時の経験をもとに、すべてを藤井竜王のように計算していたのだ。今回の王将戦だけでなく、これまでも将棋界の野獣(笑)のような大御所たちを、若い藤井青年がバタバタと倒してきた姿に、どうしても若き日に戦場に立ったダビデの姿が二重写しになってしまう。運や、策略で勝ったのではない。緻密な計算なのだ。ゴリアテの背丈が3メートルだとしても、野生の大熊が立ち上がればそのくらいはある。全身を鎧で武装していても、その結果、ライオンのように素早く攻撃を仕掛けてくることはできない。そして、近接戦で戦えば、力の差は歴然としている。だから、ダビデはそれをも計算していた。勝率が高いのは、遠距離で、素早く戦いを決めることなのだ。答えは、飛び道具。日本の戦国時代なら鉄砲だといえるだろう。織田軍が長篠合戦で武田軍の勇猛な騎馬隊に勝ったのも鉄砲隊で連射したからだ。これも計算だと思う。ダビデは、ゴリアテの兜の下に空いていた目の部分の隙間に、投石機で弾丸のような固い石を打ち込んだ。「ダビデは袋に手を入れて小石を取り出すと、石投げ紐を使って飛ばし、ペリシテ人の額を撃った。石はペリシテ人の額に食い込み、彼はうつ伏せに倒れた。」(サムエル記上17章49節)これを読んで、勝利というのは緻密な計算と技術、そして藤井青年のように相手がだれであろうと物怖じしない勇気によるものだとわかる。さて、戦いの話はここまでだが、わたしたちの人生の戦いで、6四桂打ちのような決定打となるのは何だろうか。イエス様は教えた、「どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍してくる敵を、自分の一万の兵で撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。」(ルカ福音書14章31節)

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