日本のキリスト教の問題点3
今回は、教会運営の事を考えてみたいと思います。教会に行ったことがない人は分かりにくいと思いますが、日本のキリスト教会のほとんどは、宗教法人です。ルーテル教会の場合には包括法人ですから、各地にある各個教会はこの包括法人の中の支部のようなものになります。ですから、宗教法人として国に対して税や活動報告するのは本部の事務局が管理します。それでも、各個教会は宗教法人の役割の一部として、年に一回は総会を開いて財務報告や役員の選出を行わなければなりません。独立した宗教法人格を持つ教会は、自ら国に対して報告を行う義務があります。さて、その教会の運営に責任を持つ役員ですが、牧師をはじめ、代議員、書記、会計、その他の諸活動のための役員などで構成されています。教会規模が小さい場合にも、牧師、代議員、会計などは必要です。そこで、日本のキリスト教の問題点ですが、これを教会活動に焦点をあてて考えると、会計に問題が起きやすいと思います。諸役員の責務も多いものですが、会計役員の場合には、毎週の礼拝の献金を管理したり教会運営の財務上の責任があって一年中手を離せません。礼拝も欠席できません。そこで、だいたいは選挙で、礼拝を休まず、誠実な人が会計に選ばれるわけです。しかし、責任感の反面で、金銭の采配を振るうことは、罪ある人間の悪い面も出すことになります。わたし自身も、神学校を卒業して九州のあるルーテル教会に赴任したときに、会計役員の言葉に驚いたことがあります。大教会は別として、一般の会社員に比べて教会牧師の給与は少ないといえるでしょう。それは第二子が生まれた時だったと思います。会計役員がこう言いました、「先生、牧師家庭の子供がふえると扶養家族手当が多くかかるので、子供はもういらんよ。」子供の数は親が決める事であって、教会会計から言われたのには驚きました。その教会会計役員が全部自費で牧師給与を負担しているならまだしも、選挙で選出されただけの人が、牧師の家庭の事情まで口出しする権利はあるのでしょうか。これは、小さな例に過ぎませんでしたが、その後に赴任したほかの教会でも、会計役員があたかも自分の金のように教会財政に采配を振るっている姿が時々みられました。これでは伝道は進みません。伝道には費用がかかりますが、ほとんどの会計役員は出費を嫌がります。しかし、例外もありました。ある教会では、会計役員がやり手のビジネスマンで、ここぞと言う時には金銭の投入を惜しまない人でした。その会計役員がいた時には、教会の教勢(礼拝出席者や会員数)は驚くほど伸びました。日本のキリスト教が進展するどころか、停滞したり、衰退している状態を見ると、会計役員の顔が目に浮かびます。積極的に働いている会計役員には申し訳ないですが、イエス様を裏切ったイスカリオテのユダも会計役員であり、イエス様の高価な香油に対する価値観に、異論を唱えていたことが思い出されます。「弟子のひとりで、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。『なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。』彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。」(ヨハネ福音書12章4節以下)