印西インターネット教会

高梨沙羅選手のスーツ規定違反にみる人間の欲

スキージャンプの高梨沙羅選手がスーツ規定違反で失格となった。それも大ジャンプを成功させたあとで宣告されたのである。これにたいして憤りを持つ人は多いに違いない。ただ、わたしの見方は違う。そこに人間が持つ欲の渦巻きを見る思いがしたのだ。第一に、今回ではなくほかの競技の時に、高梨選手のジャンプスーツの股下がダブダブになっていて、素人の自分でも異常を感じた。しかし、その時は今回問題になているスーツ規定は知らなかったので、あれはムササビの体の膜のように風を受けて浮力をつけるためなのだろうなと思っていた。しかし、問題はそこにあった。スーツ規定によれば、スーツは体にぴったりとフィットしたものが求められている。やはり浮力の問題だった。それなら、どうして高梨沙羅はこんなスーツで飛んでしまったのだろう。失格になった後で、彼女が「わたしが悪いんです」と言っていたように、オリンピック代表選手なら、この規定のことを知らないはずはない。それは、チームのほかのメンバーに対する気持ちだけではないだろう。では、自分でも規定違反の危険を知りながら、どうしてこのスーツを拒否しなかったのだろう。そこには金銭に対する欲が絡んではいないだろうか。多くの人が知っているように、高梨選手は10年ほど前、中学生だった時にW杯優勝しており、いわば「時の人」となった。しかし、その後、コマーシャルに出たり高級車を買ったりして、運動選手としてはふさわしくないというバッシングも受けている。他人の生き方に対する不合理なバッシングは勿論、不当であるが、まだ人格が確立していない若い時に有名人になった彼女は、心のどこかでスポーツは金になると思ったことだろう。それが今回の失格に導くわけだ。スーツ規定に違反するようなダブダブのズボンをはいても、彼女は勝ちたかった。勝てばそのお先に、自分の欲を満たしてくれる多くの報償がある。違反だとは知りながら、それまでの競技ではなにも言われなかったので、やってしまった。彼女をサポートするチームもこのスーツ規定を知らなかったわけではないだろう。スーツに関しては、会場にミシンまで持ち込んで、規定ギリギリの幅を持たせて縫い上げて調整するそうだ。その熱意も、畢竟は欲に過ぎない。優勝者を出せばチームも多くの恩恵にあずかることができるからだ。むしろ、このダブダブスーツを彼女に着させる計画をしたのは彼らだろう。しかし、彼らの目論見は見事に砕かれた。それも、大ジャンプを成功させたあとでスーツ規定違反を宣告された。日本のメディアは、こうしたズルさにはまったく触れず、「寒さで足の筋肉が萎縮したせいであろう」、というような馬鹿げた忖度に満ちたコメントをしている。日本の報道の軽薄さにはあきれる。それなら、同じ寒さのなかで協議している外国選手はどうなのかと疑問に思う。たとえ、萎縮したとしても、それに合わせてスーツを調整するのがチームの任務だろうと思わざるを得ない。次に、オリンピックを主催している中国側の問題である。なぜ、高梨選手にたいして競技前にスーツ規定違反を告げなかったのだろうか。そこには、中国側の欲がからんでいるのだろうと推測される。中国人というのは、あまり細かい事にはこだわらない、実利主義をもっている。以前の競技のときのように、高梨選手が良い成績を残せなかった時には、問題を知りながらも、無視している。ところが、今回の団体競技のように、自国の選手にも影響が及んでくるときには警告する。つまり、中国人は自己の利害にはとても敏感なのだ。これも欲のなせる業である。仏教でも、人間を苦しめる三毒の一つとして、貪欲をあげている。欲のない人間はいないが、それがルール違反の貪欲まで肥大化すると、本人を破滅させてしまう。宗教は違っても、アリババの童話などもこのことを教えている。聖書では、金銭が危険だという事を指摘している。「だれでも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富に使えることはできない。」(マタイ福音書6章24節)わたしたちの人生においても、この失敗を他山の石としたいものである。

モバイルバージョンを終了