試練にあっても心の平安を失わなかった弟子たちの信仰から学ぶ
使徒言行録12章1節-17節 文責 中川俊介
前回はエルサレムの信徒の為の支援のことでした。多くの信者は苦難にある者を覚えて助けを送ったのです。だだ、政治的には違った状況が生じてきました。1節にあるように、ヘロデ王が迫害を行ったのです。このヘロデはイエス様の誕生の際に幼子を殺害したヘロデ王の孫に当たり、アグリッパとも呼ばれていました。このヘロデは、当時のローマ皇帝クラウディウス帝によって紀元41年にエルサレムの王に任命され、その地域における無制限な権力を与えられたのです。そのヘロデ王によって、ヨハネの兄弟ヤコブが剣で殺害されました。その迫害の行為は、クリスチャンの活動を良く思わないユダヤ人の間では好評でした。彼らは、いわばユダヤ教の異端のようなキリスト教が根絶やしになることを望んでいたのです。ヘロデ王は別としても、同じ神を信じているはずのユダヤ人が、どうして同胞のクリスチャンを迫害するに至ったのでしょうか。この辺も深く考えてみる必要があるかもしれません。
迫害の手は、ペトロにも及んだと3節に書いてあります。ここに書いてある「除酵祭」とは「種いれぬパンの祭り」とも言われていて、過越祭に続く祭りでした。イエス様は過越祭の時に十字架にかけられたのですが、また、過越祭と除酵祭が来ていたという事は、それからは数年経ていたのでしょう。捕えたペトロをすぐに処刑しなかったのは、ユダヤ教の神聖なお祭りの時だったからだろうと思われます。その監視体制はとても厳しく、ペトロを牢に入れただけでなく、合計16名の獄吏を用いて、たぶん24時間体制の警備を行ったのです。それは外部の信者たちによる救出の防止と、彼らにとって得体のしれない霊的な奇跡による脱出の防止のためでしょう。そして、除酵祭が終わったら、民衆の前で公開処刑か何かの形でみせしめにする予定でした。牢に入れられたペトロは何を考えていたのでしょうか。それは、イエス様が収監されていたのと同じ場所であったかも知れません。迫害を恐れていなかったことは確かでしょう。聖霊の洗礼を受けたペトロの心にはイエス様の足跡に従うことが喜びだったにちがいありません。一方、教会では、ペトロのためにとりなしの祈りがささげられていました。
6節には、獄中の様子がでています。ペトロは牢屋の中で、二本の鎖でつながれ、自由を失っていました。地下牢かもしれません。ただ、ペトロはすやすや眠っていたようです。明日は処刑されるかも知れない命であるのに、ペトロの心には平安があった事でしょう。また、警備は厳しく、熟睡するペトロの横には二人の兵士、そして牢屋の入り口でも他の兵士が警備を担当していました。そこで、合計4人の兵士が、6時間ごとに交代して警備していたのではないでしょうか。このことは、真夜中でも変わることはありませんでした。すると、7節にあるように天使がペトロのそばに現れました。静かで薄暗い深夜の牢獄に光が輝きました。それはまさに、死の世界に現れた命の様であったでしょう。それでもペトロはまだ熟睡していました。ですから、わざわざ天使はペトロの体に触れて起こしました。その時には、不思議なことにペトロを拘束していた鎖が手から落ちました。ここには、手と足から鎖が落ちたと書いていないので、ペトロの両手に鎖がかけられていたのでしょう。この二本の鎖が外れることによってペトロは自由になりました。ただ、ペトロにはすぐに逃げようともしません。イエス様と同じ最後を遂げる覚悟だったと思われます。そこで天使は、ペトロに脱出する準備をするように促しました。この天使の命令に対して、ペトロは自分の考えを無理に主張せず、素直に従っています。わたしたちならどうでしょうか。自分なりの考えがあった場合、それとは違った行動を天使から命じられたら、素直に従えるでしょうか。この点を話し合ってみましょう。
ペトロは天使の言うとおりにしました。ところが、9節に書いてあるように、そのことはペトロにとって現実的なこととはまだ思えなかったのです。夢うつつの心理状態とも言えるでしょう。すこし、滑稽な言い方をするなら、天使に導かれたペトロはフラフラと酔いどれの人のように牢屋の入り口にたどり着いたのです。では、24時間体制で寝ずの番をしていた兵士たちはどうだったのでしょうか。彼らは仕事上、頭がふらふらしていたり寝ぼけていたはずはありません。ただ、彼らは天使の存在に気付いていません。聖書の説明を見ると、この牢獄には何重もの検問所があったことがわかります。そして、ついにペトロは一番外の鉄の門まで到達しました。その間は誰にも止められていません。奇跡とも言えます。それに、重い鉄の門も自然に開きました。外までペトロを導くと、天使は役割を終えて去っていきました。
11節に、夢心地だったペトロが我に返ったと書いてあります。それまでは、現実性のなかった出来事の真相が本当に分かったのです。それは主イエス・キリストの働きだったのです。主自らが現れたのではなく、この場合には、天使を送ってペトロを助けたのです。その助けは、ヘロデの迫害とユダヤ人の策略からの救助でした。彼の言葉である「今、初めて本当のことが分かった」という表現は、まさに啓示を受けた者が後になって理性においてもそれを把握することを意味します。神の働きは、霊的なものであるので、すぐには理解できません。しかし、時が来ればそれを感謝の内に理解することが出来るのです。そして、その働きは神の救いの働きでした。おそらく、ペトロの心中には人知を超えた神の恵みに対する深い畏敬の念が溢れたことでしょう。わたしたちにはそのような経験がないでしょうか。皆で話し合ってみましょう。
12節には、新しい認識に達したペトロは一つの行動に移ったと書かれています。逃げることなく、彼は彼のために祈っていた人々のところに向かいました。彼としては、自分の身に起こった不思議な神の働きを、一刻も早く仲間に知らせたかったのでしょう。これは、イエス様の復活を目撃した時に、人々が走って仲間に知らせたのと同じです。喜び溢れていたことでしょう。「彼には、兄弟たちが痛みと配慮をもって自分のことを心配していることが分かっていた。」(シュラッター159)ですから、ペトロの行動は彼らを安心させるとともに、どんな苦境にあっても主の助けがあることを告げて励ましたかったのだと思います。また、この事は、大勢の信者たちの祈りが聞かれたことでもありました。
13節以下にその時の様子が描写されています。その家には女中がいたくらいですから、位の高い人の大きな屋敷に皆が集まっていたことが考えられます。そして、この女中はペトロの声を聞いただけで、すぐにそれが彼だとわかりました。おそらく、時間的には深夜のことですし、今のような照明もないのですから人影もはっきりとは区別できなかったでしょう。ですから、ペトロを知っていた女中は声だけで判断し、家の中に走って戻り、ペトロが奇跡的に戻ったことを告げたのです。それは大きな喜びでした。これは、家の中でひと騒動を巻き起こしました。家の中の人は祈っていたにも拘わらず、ロデという名の女中の言うことが信じられませんでした。つまり、彼らは自分たちの祈りが神に聞き入れらられたことをまだ信じられなかったのです。人々の結論は、ロデが発狂したということでした。常識で考えて、厳重な警備が置かれた牢獄で、二本の鎖につながれたペトロが家に戻ってくる確率は限りなくゼロに近かったのです。信仰を持っている人々にとっても、不可能に見える事でした。だから、ロデの頭に問題あり、と判断したのです。しかし、ロデ
があくまで、あれはペトロの声だと主張するので、彼らも少し考えを変えて、もしかしたらロデが天使の声を聞いたのかもしれないと推測しました。つまり、家の中では不毛な議論が展開していたわけです。戸外に置かれたペトロはなおも戸を叩き続けました。その家の中には仲間たちがいるはずです。ペトロとしては一刻も早くこの良い知らせを伝えたかったのでしょう。人々は家の中での不毛な議論に見切りをつけ、恐る恐る門の所まで来ました。彼ら自身も危険に晒されていたのですから、門を夜間に開けるという事も一つのかけでもあったでしょう。でも、開けなければ事の真相はわかりません。16節にその時の様子が伝えられています。それはまさに青天の霹靂でした。こわごわ門を開けたのに、ペトロの無事な姿をみたら、今度は喜びにあふれた大騒ぎになってしまったのです。ですから、17節にあるようにペトロは興奮する人々を手を振って静め、事の次第を伝えなければなりませんでした。ペトロがカイサリアで見た幻のことも不思議でしたが、おそらく、彼がイエス様と一緒に行動したころに経験した不思議な出来事の再現のようなことが起ったのです。イエス様の働きはイエス様の代で終わっておらず、ペトロの代にまで継承されたのです。それは現代でも同じではないでしょうか。やはり、不思議なことはあるものです。この事について皆で話し合ってみましょう。
ペトロは、懸命に事情を説明すると、自分の役割を果たし終え、他の場所へと向かいました。この事件は、不思議なことに、夜が明けるまで、牢屋の番兵には知られませんでした。彼らはあたかも催眠術にかかったかのようでした。神の霊がそうさせたのです。朝になって事実が判明すると、大騒ぎになりました。死刑囚の脱走ということでしょうか。その報告を受けたヘロデ王は捜索を命じましたが、ペトロを探し出すことはできませんでした。エルサレムはそれほど広い場所ではないのですから、ペトロをかくまうキリスト教徒の勢力がかなり強かったのだと考えてよいでしょう。牢の番兵たちは、厳しく失敗を咎められ、死罪となりました。そして、親ローマ派のヘロデ王は、ローマ軍の拠点でもあったカイサリアに行ってそこに滞在しました。身の安全をはかったのかもしれません。
さて、20節からの記事は挿入文のようにも見えます。これはヘロデ王自身のことです。ティルスもシドンもカイサリアよりは北にある海岸地方の都市名です。何かの理由で、ヘロデ王はこれらの都市に対して立腹していました。だいたい、古代の都市は、独立していて自治権を持ったものが多くありましたから、ティルスもシドンもそうした行政の面でヘロデ王を立腹させていたのかもしれません。ただ、そのままでは戦争や迫害にもなりかねません。思慮深い都市住民は使いを送って和解を申し出ました。物事が悪化する前に対策を講じたのです。この世のものは処世術にたけているとも言えます。ヘロデとの敵対関係に入れば、食料の供給が止まるからです。21節以下のヘロデ王の演説に関することは、ティルスやシドンとは無関係なように思えます。ただ、演説の時に人々がヘロデ王の事を神だとか述べたのは事実であるようです。当時、ヘロデ王が作らせた銀糸の糸で織った服を着て日の昇る明け方に劇場で演説したら、その衣が光り、神のように人々の目に映ったことは歴史の記録に残っているようです。そこで、人々は、ヘロデ王を神の化身(アバター)のように思って、「神の声だ」と叫んだのです。ヘロデ王はそれを否定しませんでした。喜んでいたとおもいます。すると、23節にあるように、ヘロデ王は病に倒れました。使徒言行録の著者ルカは「主の天使がヘロデを撃ち倒した」としています。その処罰は、モーセの十戒のなかの、第三戒への違反でした。自分を神と等しいものとしたからです。実際に歴史の事実では、