印西インターネット教会

王将戦第四局に見る人生模様

若き藤井竜王が王将戦をストレートで勝って、最年少の五冠を達成しました。前にも書きましたが、藤井竜王の桂馬の使い方が抜群にうまくて感心しています。今回も、勝因の一つはそこにあったのではないかと、将棋にはうといわたしですが、勝手に推測しています。今回の棋譜を全部見てみましたが、終盤になって、藤井竜王は金を捨てて桂馬を取っています。その段階で、すでに詰将棋を計算していたと思われます。いつも感心することですが、藤井竜王は、自分の作戦に従って、金でも角でも飛車でも、普通の人なら捨てたくない駒もどんどん捨てて作戦を進めます。それは決して無謀な捨て方ではありません。わたしたちの人生はどうでしょうか。何かを大切だ大切だと思い込んで、温存している間に、その利用価値は消えて、負け戦になっているのではないでしょうか。聖書にはこう書いてあります。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失たら、何の得があろうか。」(マタイ福音書16章26節)ですから、過去ではなく、現在の自分や家族や社会にとって何が大切かを考えなければなりません。「イエスはたとえを話された。ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』とおもい巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまいこみ、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きていくだけの蓄えができたぞ。一休みして、食べてたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意したものは、いったいだれのものになるのか」といわれた。自分の為ために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ福音書12章16節以下)捨てることのできない人生、あるいは与えることのできない人生の行く先には、敗戦が待ち受けているとも言えるでしょう。藤井竜王の潔い作戦に触れて、人生観を新たにし、将棋でも人生でも真理は一つだと実感しました。

モバイルバージョンを終了