印西インターネット教会

人間的な価値観を反映した諸宗教の問題点を聖書から学ぶ

使徒言行録13章1節25節  文責 中川俊介

いよいよルカの記述はイエス様の初代の弟子たちのことから新しい指導者であるパウロの時代に移っていきます。すべてにおいて神の定めた時がありますが、ダマスコ途上でパウロが復活の主にあってから、異邦人伝道に用いられるまで時間が経過していました。

さて、場面はエルサレムではなく、イエス様を信じる人々が「クリスチャン」と呼ばれたアンティオキアです。前にも述べたように、この町はローマ帝国内でも、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ第三の都市でした。異邦人に伝道するには最適の場所だといえます。そこの教会では、バルナバが指導的立場にあったようです。ニゲルという別称をもつシメオンは、名前から判断するとユダヤ系の人のようですが、ルカ23:26に記述がみられるイエス様の十字架を背負った「シモンというキレネ人」だったことも考えられます。シメオンとシモンは同じ意味です。ちなみに、キレネとはアフリカ北部の地方で、現代のリビアあたりのことです。それに、ニゲルというのはアフリカ出身者に対する一般的な呼称だったようですが、それはニガー(黒人)と同語源の言葉だと思われます。つまり彼は同僚から「黒い人」と呼ばれていたのです。また、キレネ出身の外国人、ルキオという人もいました。勿論、指導者の一人でしょう。そしてマナエンという人物は社会的な地位の高い者であり、ヘロデと一緒に育ったという事です。「領主ヘロデは、初代のヘロデの死後、ガリラヤを支配していたアンティパスのことである。」[1] マナエンもそうした人物と知己であったことはローマ帝国内でかなり顔の利く人であったと考えても良いでしょう。ルカが何故この人物のことを書いたのかはわかりません。聖書的観点からみて、社会的地位が高いから尊重すべきだという事はないと思います。しかし、アンティオキアの教会には様々な階層の人々が、その人の特徴を生かし、協力し合って伝道していたことを表現したかったのかも知れません。「いずれにせよ、すべての人の協力によって、伝道が進められているということです。」[2] こうした人々の教会内での役割は、預言をすることや教える事でした。ですから、アンティオキアの教会では御言葉の宣教を第一にしていたことがわかります。現代の教会ではどうでしょうか。わたしたちの教会生活での優先順位というものを皆で考えてみましょう。

2節を見ると、指導者たちは礼拝と断食を大切にしていたようです。断食自体はイエス様の教えから来ていると思われます。「日常生活に必要なものであるにもかかわらず、それを一時中断するというのが断食の意味なのです。ですから、断食は、専心祈るための補助手段であると言うことができます。」[3] ユダヤ人が神の定めによって安息日を日常生活の中断の日としたのも同様でしょう。「神はわたしたちが何も持たないところにこられます。」[4] 無とは有なのです。さて、その日常の中断である断食の際に彼らに聖霊のお告げがありました。それは、バルナバとサウロを異邦人伝道に派遣することでした。二人を異邦人伝道に派遣するというのは教会にとってかなりの支えを失うことです。しかし、それは主が前もって定めた計画であり、二人一組で福音を伝えるということでした。その派遣のお告げの後、3節にあるように、弟子たちは再び断食して祈りました。そして、派遣にあたって按手を行っています。現代では牧師の按手などの形で残っている儀式ですが、このころには既に行われていたのでしょう。

4節には、重要なことが書かれています。バルナバとサウロは人間の派遣によるのではなく、聖霊によって送り出されたというのです。つまり、聖霊なる神ご自身の派遣という事です。これは使徒言行録の中心的テーマでもあります。過去の出来事だけではなく、現に今働く聖霊の出来事の記述です。現代の教会でもその点が大切です。彼らは、アンティオキアの南25キロにあった港町セレウキア(現代のサマンダー)に向かいました。そこから船に乗ってバルナバの故郷でもあるキプロス島に行きました。「キプロスはローマ帝国内の主要な銅の産地であった。」[5] 最初に到着したサラミスという町では、ユダヤ人の会堂で説教し、御言葉を伝えています。異邦人伝道のためなのにユダヤ人会堂に行ったのは奇異に感じられる面もありますが、キプロスでは、会堂に改宗した異邦人も集まっていたので伝道には有効でした。その際に、二人にはマルコと呼ばれるヨハネが助手として同伴したと記されています。後のマルコ福音書の記者であるとも考えられるマルコです。6節にあるように、彼らの目的はキプロス島全体を巡回して伝道する事だったようです。その途中で、この島の首都であるパフォスという町でユダヤ人の偽預言者であるバルイエス(救いの子という意味)という人物に遇いました。7節には、この人物の説明が出ています。バルイエスは社会的地位も高く、そこに住む地方総督との交友もあったようです。この総督セルギウス・パウルスは宗教にも関心があったようで、バルナバとサウロの来訪を知って、彼らを招き、彼らの教えを知ろうとしました。「彼らの間には、重要な時点で人間の行動の不確かさにぶつかって、超自然的な解明による支えを得たいと願うことは、広くいきわたっていた。」[6] 8節に出て来る、魔術師エリマはバルイエスの事なのでしょうか。「たぶん、ルカはバルイエスがエリマという名前も使っていたと言いたいのであろう。」[7] ただ、それが誰であるにしても、バルナバとサウロが地方総督に接近するのをエリマが妨害しようとしたことだけは確かです。「エルマがバルナバとサウロとに反対したのは、総督のもとにいて得ていた自分の地位や生活がおびやかされるところにありました。」[8]

その時に、既にローマ式の呼称でパウロとも呼ばれていたサウロ(ユダヤ名)はこの魔術師エリマを威嚇して睨みつけました。愛を説く宣教師が脅迫的な態度をとったことの是非はわたしたちには判断の難しいところです。「偽預言者に対して怒りを発しない者は、真に福音の使徒であるとは言えない。」[9] 悪魔との戦いです。パウロの人間的な判断によるものではありません。問題は態度だけではなく、内容です。その言葉には、いくつかの主張点が見られます。その第一は、偽りです。偽善とも言えます。第二に、魔術師エリマは、救いの子ではなく悪魔の子だというのです。第三は、主の道を曲げる者だという批判です。「新しい働きを神のために始める時、必ずすぐ悪魔に会います。」[10] ここで、パウロは魔術師エリマに悔い改めを迫っているわけでもありません。強く叱責しただけです。「そのほかの場合には、パウロは人々の愚かさや罪を、きわめて寛大に忍耐している。」[11] そしてここでは、11節にあるように、神の裁きを告げました。失明するというのです。それは以前パウロ自身が光を失ったのに似ています。パウロも「時が来るまで」と述べていますので、永遠の呪いではありません。かつてのパウロと同じように、エリマにも救いの可能性は残されているのです。福音の視点です。それに、この「時」という言葉にはカイロス(神の時)というギリシア語が用いられていて、パウロも神の御計画の中でこの時があることを知っていたことがわかります。イエス・キリストの十字架と復活を抜きにした「信仰」は魔術的なものになってしまいます。そして、パウロが予告した通りになり、魔術師の偽りは暴かれたのです。そのことは、12節にあるように、総督の心を動かし、真実に目覚めさせ、信仰が与えられました。「ローマの高級官吏がキリストを信じる信仰に入るということは、大変な勇気と決断を要することでした。」[12] 社会的地位を失う危険もあったことでした。パウロと総督との関係でも言えることですが、地上の価値観に生きる者は、抽象的な教理では説得が難しいものです。現代の宣教が停滞しているのは、こんなところにも原因があるかも知れません。「この記事は福音の力が魔術に勝るものであることを示している。」[13] 皆でこの点について考えてみましょう。

バルナバとパウロは総督に伝道すると、次にこの総督の町であったパフォスから船出して、現代のトルコ南部の港町ベルゲに行きました。その時に小さな出来事がありました。あの助手であったヨハネが勝手にエルサレムに帰ってしまったのです。このヨハネのことは後にバルナバとパウロが別の道を行く原因となったことでもありました。聖書の世界では、各個人の信仰を大切にして、それを無理に我慢して相手にあわせるということはないようです。バルナバとパウロはそこから陸路をたどって、もう一つのアンティオキアという町に向かいました。14節をみると、そこでも安息日にユダヤ教の会堂で礼拝に出ていますので、直接には異邦人に伝道する状態にはまだ達していなかったようです。何事にも発展段階があるものです。その会堂では、律法と預言書の朗読があって、まさに伝統的な礼拝がなされたことがわかります。「会堂長たち」と複数形が用いられていますので、かなり規模の大きな会堂であったのかもしれません。彼らが人を遣わしたということは、クリスチャンの指導者だという事で直接に会うことを躊躇したのかもしれません。それでも、彼らにとってパウロはエルサレムで教育を受けた生粋の聖書学者だったのです。また、バルナバも祭司の家系でした。ですから、彼らはバルナバとパウロに頼んで会堂で証しをしてもらうように願ったのです。

ここで、バルナバではなくパウロが説教を担当しました。16節にあるように手の動作を入れながらパウロは話を開始しました。「制する」というよりは、身振り手振りを入れて、と解釈すべきでしょう。パウロは開口一番、会堂に集った大勢のユダヤ人に「神を畏れる方々」という尊敬を含めた言い方で呼びかけました。彼らの畏敬の念には敬意を払っていたのです。17節でパウロは出エジプトの出来事に触れます。これはユダヤ人なら誰でも持っている共通理解です。18節以下も同じです。それは、かつてステファノが訴えられた際に証した内容と重なっている部分もあります。やはり、イスラエルの歴史をたどりながら、先祖の者たちが、神の導きに従わなかったことを示しているのでしょう。神が「彼らの行いを耐え忍び」と書いてあるのが、後に大きく展開されるパウロの福音的視点です。そして23節から本題に入り、神は約束に従ってダビデの子孫から救い主を送られたと説きました。そして24節からは新約時代のことです。イエス様の伝道の前に、洗礼のヨハネの伝道がありました。ヨハネもユダヤ人の権威によって迫害され、惨殺されたのですが、エルサレムから遠く離れた場所に住む人々に、パウロは誤解を生むような表現はとりません。25節にあるように「生涯を終える時に」という形で淡々と述べています。ステファノの時のように聴衆を責めることはしません。彼らの信仰心に訴えて、理解してくれることを願っている姿が伝わってきます。おそらく異邦人の改宗者たちを意識したからでしょう。使徒言行録のなかでは、ここがパウロの最初の公式な発言の記録でしたし、ペトロの証し、ステファノの証しと並ぶ、三大論説教の一つでもあります。イエス様の到来の意義を、ダビデの預言と洗礼のヨハネの証言によって示そうとしたのです。そして、パウロの考えは一貫しています。「これは、神がわたしたちの主イエス・キリストによって実現された永遠の計画に沿うものです」(エフェソ3:11)、とあるようにイエス様の十字架と復活は神の救いのご計画だというのです。「パウロは、ただ聴衆のまなざしをしっかりとイエスの十字架に向けさせる以外、イエスを宣べ伝えることができない。」[14] ここに、パウロの信仰の核心があると思われます。人間が定めたものではなく、神のカイロス、神の救いのご計画にすべての根源があるのです。そして、神の働きであるがゆえに、確かな約束なのです。

[1]   シュラッター「新約聖書講解5」、新教出版社、1978年、166頁

[2]  尾山令仁、「使徒の働き上」、羊群社、1980年、462頁

[3] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、464頁

[4] 蓮見和男「使徒行伝」、新教出版社、1989年、188頁

[5] P.ワラスケイ、「使徒言行録」、ウェストミンスター、1998年、126頁

[6] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、169頁

[7] 前掲、P.ワラスケイ、「使徒言行録」、127頁

[8] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、472頁

[9] 矢内原忠雄、「聖書講義1」、岩波書店、1977年、734頁

[10] 前掲、蓮見和男「使徒行伝」、188頁

[11] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、170頁

[12] 前掲、尾山令仁、「使徒の働き上」、476頁

[13] L.マーシャル「使徒言行録」、エルドマンズ、1980年、217頁

[14] 前掲、シュラッター「新約聖書講解5」、175頁

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