中国に「走西口」という題のテレビドラマがあり、日本でもユーチューブで見る事が出来ます。わたしは中国語の勉強のためにこれを時々見ています。走西口とは、城塞都市の西の門の外に行くという意味です。昔の貧しい農民が危険を承知で遠い地方に出かけていって一攫千金を狙うという意味でもあります。ドラマに登場する二人は義兄弟ですが、彼らの一人が足の水膨れで歩けなくなってしまいます。たまたま宿泊した旅館の主人に教えてもらって、近くのお寺の和尚さんに治療をお願いしにいきました。お寺で和尚さんは、お経を唱えながら木魚をたたいていましたが、彼らの願いを聞いて、治療をしてくれました。この治療は一種の整体のようなもので、もう一人が足の悪い人の体を押さえておかなければ痛みで飛び上がってしまうほどの荒療治でしたが、一瞬のうちに回復しました。心からお礼を言う二人に対して和尚さんは、「区区小事何足掛歯」と言い、再び木魚をたたきながら、「善哉、善哉」と唱えます。ここに、文化こそ違いますが、世界共通の宗教者の姿勢を見る思いがしました。最初の、「区区小事何足掛歯」とは、些細な事でありお礼を言うには及ばないという意味です。そして次の、「善哉、善哉」とは、「よきことかな、よきことかな」という意味です。日本では、一休さんの口癖が、何が起こっても「けっこう、けっこう」でした。ここにも共通点があります。こうした肯定的な人生観は信心から生まれてくるものだと改めて思いました。