「あなたの夜が明ける」 マタイ１７：１－９
パウロはローマ書７：１８で、自分の肉のうちには善が住んでいない、と言っています。また、第一コリント１５：５０では、肉では神の国を受け継ぐことができない、と言っています。この肉とは、ギリシア語でサルクスといって、神を知らない世俗的な人間の姿をあらわす聖書の用語です。今日の個所は、この世俗に生きている、肉である人間が、本当は見えないはずの神の神聖さを見させていただく奇跡的な場面についてです。
さて、サルクスに生きる人間は、暗い顔つきをしています。夜の顔とも言えます。でも、そういう人も、礼拝をまもり、聖書の御言葉に触れ、信仰を身に付けて行くにつれて、顔つきが変って来て、明るい顔になってくる、とある牧師は言っています。
今回の聖書箇所はイエス様のお姿が変わって光のように輝いたことを覚える部分です。イエス様はもともとサルクスではありません。ただ、光るイエス様が、人間の憎しみ怒り殺意の世界に降りてくださったことが示されます。わたしたちはイエス様の助けで、神の領域を体験させていただくことができます。これは大変うれしいことです。わたしたちはいつも人間の領域のことで悩んでいます。自分自身の事で悩み、人間関係で悩みます。しかし、どのように努力しても、自分で解決するのは難しいことです。そんな弱点を持っているわたしたちを、イエス様は「さあ。従っておいで」と言って、まず高い神の山に道案内してくださるのです。
福音書の日課を見てみましょう。イエス様は、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの３人の弟子だけを連れて山に登りました。ある学者はイエス様の自由さに着目しています。１２弟子全員に同じように接したのではなく、この3人だけに神秘を明らかにしたのです。不公平と言えば不公平ですが、そういう見方は人間的なものでしょう。神の働きは、民主主義や、多数決とは無関係です。たった一人でも、正しい者は正しいとされるのです。預言者たちの生き方がそれでした。
さて、この場所はガリラヤ湖より北のフィリポ・カイサリア地方です。そこには標高２８００メートルのヘルモン山があります。夏でも雪渓には雪が残る高山です。ここにはパリサイ人も律法学者もいませんでした。おそらく完全な自然のなかで、イエス様は弟子たちに神のみ国について教えたのでしょう。人間は世俗の色々な妨害物に囲まれていますから、なかなか神を集中に思うことができません。礼拝中でも自分の判断や、憶測がさざ波のように広がります。すると神の言葉は聞こえなくなります。とくに悩みや心配が、御言葉を聞く障害になります。だから、イエス様は静かな山の中で神の真理を示したのでしょう。自分を囲む物、自分の心の支えとなっているものと離れる時が、神のみ声を聞く時でもあります。だから人は孤独な苦しみの時に神に出会うのでしょう。
キリスト教とは関係ない人ですが、歌人の種田山頭火は孤独の生涯をおくった人です。ただ、彼の句には、孤独だからこそ見えてくる人生の真理のようなものが示されているように思われます。
その昔、神のご命令で息子のイサクを犠牲として捧げようとして山に登ったアブラハムも同じでした。神の言葉を受けて、彼は一人でモリヤの山に登りました。モーセはシナイ山をたった一人で登って十戒の石の板を授かりました。エリアもホレブの山に一人で登りました。一人で神と出会ったのです。わたしも八王子ルーテル教会にいた頃には、近くの高尾山を３０回くらい登りましたが、一人で登る時に、何かインスピレーションが与えられるように思いました。
イエス様も、誘惑の試練を受けたときは一人でした。一人で孤独なことは寂しいことですが、決して悪い事ではありません。神に最も近い時です。イザヤ書４０章に、肉なる者も主の栄光を見ると預言されています。それは、４０：６にあるように肉の限界が草に等しいと自覚したときです。それは今日の場面に登場するペトロも第一ペトロ１：２４で言われていることです。
今回の個所でイエス様は信仰を伝えるために愛する弟子たちをともなったわけですが、これはイスラエルの預言者の歴史では異例なことでした。イエス様が三人の信仰者と共に集まり祈ったことにより、この山の上が聖なる場所となり、そこが最初の教会ができる予告となったと言えるでしょう。教会も人間的なサルクスが働かないで神を見上げるなら神聖な場所です。また、山の上でペトロは、モーセ、エリヤ、と語りあうイエス様を見ました。そして、お望みなら、仮小屋を三つ建てましょうと言いました。これは神さまを礼拝する幕屋のことだと思われますがこれは意味のない行為でした。なぜなら小屋を建てて、そこに天の栄光をおさめるという考えは、人間的な思考形態の代表的なものです。世界中の、宗教的な大伽藍は、こうしたサルクス思考方法の産物に過ぎません。そんなわけで、弟子たちは、まだまだ悩み多き人間的な視点に沈む傾向を持っていたと言っても過言ではないでしょう。冬期パラリンピックが開催されていますが、オリンピックでもパラリンピックでも、あれらはギリシア思想の反映であり、人間の努力や美しさ、賢さ、強さなどを賞賛する思考形態の典型です。聖書では逆に、人間の栄光を否定し、弱き者、罪深き者、愚かな者、希望を失った者を決して見捨てない神にのみ栄光を帰しています。これが、福音の根幹だと言えるでしょう。人間の栄光を主張するギリシア思想とは正反対となります。あの、アテネのアカデミオンで、プラトンが天を指さし、ソクラテスが地を指さした絵図にも似たものです。プラトンのような理想主義ではなく、この地にある様々な混沌を避けない姿勢が聖書には顕著です。
ここで、弟子たちの体験に戻りましょう。彼らのこの日の体験は、その後長い間、弟子たちの記憶に残りました。第二ペトロ１：１６以下にもこのことが書いてあります。「キリストの威光を目撃したのです」、とペテロは証言しています。また、ヨハネ福音書１：１４にも「わたしたちはその栄光をみた」、と書いてあります。彼らの人生をかえたのは、神の世界を知る体験でした。最も大切なのは、知識ではなく体験なのです。天を知識と比喩すれば、体験こそ地なるものでしょう。
さて、ここに登場したモーセはシナイ山で律法を神から授かった人です。また、エリヤは預言の言葉を与えた人です。この出来事の深い意味とはなんでしょうか。単なる神秘ではないはずです。律法と預言の代表者が、これから起こるイエス・キリストの十字架の受難を予告しているということです。神から離れて肉の世サルクスに沈んだ人類を贖うために、十字架の死、救い主の苦しみという犠牲がどうしても必要であったということが示されたのです。わたしたちも、立派なイエス様は受け入れられても、十字架上で虐殺される、みじめで無力なイエスさまは受け入れにくいのではないでしょうか。しかし、これこそ最も神聖な事柄が、最も低く、最も残酷で、最も悲しい犠牲と弁証法的に結び付くのだというのが聖書の教えです。それは、神がわたしたちの悲しみと罪の底辺にいてくださるという福音のしるしです。
この時、輝く白い雲があたりを包み、その雲の中から、神さまの声が響いたのでした。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け。」弟子たちは恐ろしくなって、地面にひれ伏してしまい、ガタガタ震えていました。サルクス的な人間的な視点しかなかったからです。霊的な視点なしには神と近くなることは怖い事です。
最初に言いましたように希望の無い人と、希望に生きている人とでは、明らかに顔つきが違ってきます。自分を卑下したり、人生を諦めている人は、暗い顔つきになります。また、人間は弱いので、自分の不満を社会や環境のせいにしています。けれども、希望のある人は、文句も言わないし、一緒にいても気持ちがいいものです。「だいじょうぶだ、すべての闇と悲しみは、光に向かっているんだ」、と言える人です。つまり福音を与えられている人です。教会の伝道には、良い計画や方策も大切でしょうが、それ以上に本当に福音を知っている人が増加することが重要だと思います。
顔が輝くこと、つまりそれは神との交わりを持つということです。神との深い交わりに生きている人は、自然と感謝する人になるでしょうし、顔も輝いて来るのではないかと思うのです。
もし、これを読んでくださったあなた、理由なき感謝を持つようになったなら、それこそ、神様との交わりが起こっている証拠です。
それは、神の領域を啓示された者の態度です。イエス様の姿が先ずその最初でした。そして、やがてそれは弟子たちの姿となりました。理由なき感謝です。ステパノという弟子が迫害で死んだ時も、その顔はさながら天使のようだった」と使徒言行録６：１５に書いてあります。人の現実がどれだけつらくて、矛盾に満ちて、耐え難かったとしても、イエス様が尊い犠牲として、その底に来てくださったのだから、きっと大丈夫。それを信じきっている姿です。あれほど恐れた、また罪深かったペトロもやがて、迫害と試練を恐れない信仰者になっていきました。そして手紙に書いています。「世があけ、明けの明星があなたの心に昇るまで、暗い所に輝く灯として預言の言葉に留意しなさい」（第二ペトロ１：１９）わたしたちは、闇の中にあっても天の光を仰いで歩んで行けます。神の絶対愛を感じ始めたらそうなります。イエス様にあって既に世が明けたという福音が宣言されているのです。だからもう迷うことはありません。不安をかかえる必要もありません。罪あるわたしたちも神の国を受け継ぐものとされたのです。ペトロたちは山に登ってそれを知りました。わたしたちは聖書のみ言葉によってそれを知ります。夜が明けるとは、わたしたちを愛する神が、イエス・キリストの贖いによって、人間的なサルクス思考から、すべて大丈夫だと言う神聖な神のアメイジング・グレイスの光の領域に移してくださるのです。それは、無条件の絶対愛ですから、それを信じる者すべてに実現します。遠い将来ではなく、今ここで、実存的に実現するのです。
人知ではとうてい計り知れない、神の平安があなたがたの心と思いを、イエス・キリストにあって守って下さるように。